処女とか童貞とかの価値は明治時代以降の悪質なプロパガンダ


日本人は古来より農耕民族で、1年中畑や田んぼを耕して生きて来ました。
その中ではあまり個々の有能・無能は問題にはならず、朝早くから耕して、夕方には帰り、夜は早く女と寝て、毎晩好きなだけセックスをして暮らすのが普通でした。
従ってセックスは男と女がいる限りは当たり前の生活習慣で、男の子はおチンチンが硬くなれば周りの女たちが相手になり、女の子も年頃になるとわざと納屋とか離れに1人で寝て、夜中に忍んでやってくる男に抱かれて処女を失い、場合によっては村中の男たちにまわされ(輪姦)されたりしました。
1婦1夫制は西洋のキリスト教の厳しい倫理観が来てからの、つまり明治時代からの倫理観で、それまでは非常におおらかでフリーセックスに近かったのです。
いわゆる街道の宿場町の宿の周りにはたくさんの女たちがいて、旅人は宿と女はセットでした。
女の値段は非常に安く、今の価格に直すと一晩5百円位なものでした。
女たちは普段は宿や農家の手伝いをして旅行客が来たら宿の主人が適当に女をあてがい、旅人も当たり前に受け入れて一緒に食事し、一緒に寝たのです。
有名なお伊勢参りは全国の少年がわずかな小遣いを持って数ヶ月かけて1人で往復してくるのですが、旅行中にはこうして毎晩女と寝て、セックスも一人前になって帰ってくる意味もあったのです。
ですから結婚しても、男も女もあまり貞操観念はなく、ちょっと気持ちが動いたら目の前の異性とすぐにセックスしたのです。
従って子どもは必ずしも旦那の子どもとは限らず、また旦那もあちこちに子どもをつくったりしていました。
結局子どもは次の世代の労働力ですし、すぐに家庭を助けるパワーになりますからあまり血筋などはうるさくなかったのです。
キリスト教的な厳しい倫理観が日本人を縛り、浮気を許さず、子どものセックスも禁じたから、逆に歪んだセックス感が蔓延したのです。
結論として処女や童貞は明治時代以前には恥に近い、カッコ悪い姿だったのです。

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