コンスタンチノープル陥落とイエニチェリ軍団の子ども大虐殺


1453年、オスマン帝国の10万人の大軍が東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルを包囲します。
そして警戒のミスをついて施錠されていない裏の城門からイスラム軍はなだれ込み、絶望的な最後の抵抗の後に東ローマ帝国は滅亡しました。
約7千人の東ローマ帝国の軍勢は全滅し、街は燃え、略奪や殺人が横行します。
オスマン帝国の皇帝メフメト2世はこの時21才、筋肉質のひときわ大きな体格に残忍な性格、全身に刺青をしたスキンヘッドの青年でした。
メフメトの親衛隊、イニエチェリ軍団はかつてオスマン帝国の王族たちの性奴隷の少年たちで構成された親衛軍で皇帝への忠誠は厚く、抜群の戦闘力を持つ精鋭です。
彼らは独特の黒いマントを掛けた鎧をまとい、焼け落ちたコンスタンチノープル市内を徹底してチェックします。
街の地下室や倉庫の中に秘密の隠れ家があり、女子どもが潜んでいるのです。
片端から探索し、次々と発見され、引きずり出される女子どもたち、全て後ろ手に縛られ、城郭の片隅の広場に並べられます。
周りはイエニチェリ軍団が2重3重に取り囲み、その中で生け捕りになった女子どもたちの尋問と品定めが行われ、中には人質として金銭と交換可能な女子ども、あるいは軍団の、慰みの性奴隷用の女や少年少女、そして高位な皇帝などへの選ばれた美少年、美少女が定められました。
半分以上の生け捕りの女子どもは数人ずつ城郭の縁に立たされ、首を切り落とされ、そのまま死体は外側の海に放り投げられました。
あたりは血で真っ赤に染まり、次々と引き出される女子どもの叫び声や泣き声は響きわたり、イスラム軍団の恐ろしさを刻みます。
やがて処刑は終わり、後ろ手に縛られた美少年、美少女たちは一度素っ裸にされて念入りに検査され、小さな布一枚をまとわされて、舟で帝国軍の本営に連れて行かれます。
またいわゆる性奴隷としてイスラム軍団の慰み者の女たちは身体を洗われた後、白い布一枚の裸で馬車に詰め込まれ、軍団の宿営地の大きなテントに2~3人ずつ配られました。
テントの中には数十人の飢えた戦士が裸で待っており、歓声をあげて女を受け取り、数人がかりで抑えつけ、輪姦するのです。
体格の良い飢えた男たちに次々と若い身体を犯され、あらゆる器官を使われて女たちは数日間で息絶えるのです。
本営に連れて来られた美少年、美少女は合わせて20人、どの子もまるで天使のように美しく、可愛い少年、少女です。
ここで再び精密な検査が専門の医者によって行われ、さらに数日間の体調改善とより美しくなる処理がなされます。
この子どもたちは皇帝や皇族、軍団の司令官クラスの夜伽としてその若さや美しさを楽しまれるのです。
検査する医者たちがいちように目を見張ったのがオリオンと言う美少年で、東ローマ帝国の宰相のミロードノスの息子で12才、均整のとれた少年らしい体型で、なにより可愛く美しい顔が際立っています。
「この子はメフメトさまの稚児によかろう」
「滅多にない完全な美少年だな、あとはしっかり性の器官を磨くだけだ」
こうして可愛い少年少女は数日間磨かれ、食事や薬をあてがわれ、美しい性奴隷としての体調管理を施されました。
そしていよいよ、

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