私の性的体験記(2)中学生~高校生の頃


前回:  私の性的体験記(1)小学生の頃

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大人のマンコをじっくり見てみたい。成長するにつれてその欲求が強まってきた。まだ性交に関する興味はあまりなかったが、マンコが見たいという欲求はかなり高まりを覚えた。おりしも、父の勤め先の官舎に住めることになり、中学2年の5月に都心へ引っ越した。

当時、都電が走る表通りから100mほど奥まったその家は3Kの一戸建てで、3棟あり、その中の家であった。後に親が金を出して4Kに建て増しをした。

マンコが見れる可能性がある身近な大人の女性は、まず母親であった。美明君ではないが、もし家のトイレに吐き出し口があったなら、もっと早く私は母親の排尿姿を覗き見していたに違いない。生憎小学生時代を過ごした郊外のアパートも、その後1年ほど住んだ一戸建ての借家も、今回新しく引っ越した都心の家も、トイレ自体は和式であったが、吐き出し口の設備はなかった。

唯一母の裸を見ることが出来るのは入浴時であった。母が全裸になるとオッパイは小振りで、下は陰毛が密生していて、いくら目を凝らしても陰裂は正面からは、全く見えなかった。

前回記した様に、銭湯に通っていたころ、小学校3年生ぐらいであったが、母と一緒に女湯に入った。小柄な私は歳より小さく見えたので特に問題にはならなかった用である。脱衣所で大勢の見知らぬ女性が、自分で着衣を脱ぎ全裸になる姿を見ることや、洗い場で立ったまま前屈みなり、尻の割れ目の間から見える大人のマンコを盗み見するのは秘かな楽しみであった。しかし、ある日不覚にも、チンポを勃起させてしまった私は、それ以来母親と一緒に女湯に入ることはできなくなった。

しかし、家湯は別であった。中学2年にもなって、まだ私は時折母と一緒に入浴していた。そんなある日、私が体を洗っていると母は、私に背を向けて、前屈みになり、浴室に作られた流し台で洗濯を始めた。おそらく自分の下着を手洗いしていたのではないかと思う。私の頭の位置に丁度母のお尻が来る様な高さ関係であった。私はためらわず、とは言っても気付かれぬように後ろから母の股間を覗き込んだ。脚は閉じていたが、それでも薄暗い状態ではあったが、母の陰部が見て取れた。ぴっちり閉じた大人の女の陰裂。小陰唇のはみ出しもなく大陰唇にもほとんど陰毛は生えていなかった。ぼうぼうと生えた陰毛で前から陰裂が見えない何時もの姿から、私は大陰唇にも陰毛がたくさん生えていると思い込んでいたが、事実は全く異なった。本当は尻タボを両手で開いて肛門を見たり、陰裂を開いたりする衝動が走ったのだが、当然のことながらその勇気はなく、私は母親の陰部を時間が許し、気付かれないと思う限り、そっと覗き見して楽しんだ。

絶対に母には気付かれていないと今でも思うのであるが、その晩が母との最期の入浴であった。母はその晩、何かしら感じるところがあったのか、あるいは入浴前にこの日が最後と決めていて、普段しない洗濯をすることにより、私に覗かれることを承知でそれとなくマンコを見せてくれていたのかも知れないとも思えた。

同じ頃オナニーを覚えた。誰かに教わったのではなく、学校の図書館にあった平凡社の大百科事典で「性交」なる項目をよんでいたら、その中に一言一句覚えている訳ではないが、
「男性器を女性器に挿入し、男性器を出し入れすることによる、性器の摩擦によって快感を覚え、やがて射精に至る。」
といった内容の記載があり、だったら手でチンポを扱いたら、同じことだろうと、勝手に思い至ったた結果であった。中学生時代は、後は特に取り立てる様な事柄はない。

さて、それは高校1年の7月のとある日曜日の午後であった。毎週のことながら、私は自宅の玄関の上りぶちに腰かけ、通学に履く革靴に靴墨を塗り、入念に磨いていた。・・・と、母が居間から速足でトイレにやって来た。そう、それはまさに偶然の産物であり、その時は思いもかけず突然やって来たのであった。

母は元来の便秘症で、毒掃丸などの売薬では十分な効果が得られず、毎晩就寝前にセンナ葉を煎じて服用する習慣があった。センナは漢方の便秘薬で、よくは分からないが、母の言によれば、売薬(尤もセンナも売薬であろうが)より効き目があったらしい。ただ、漏れ聞いた話では、日によって薬効の強弱があるのか、母親の体調のバラツキの結果なのか、その効き目にかなバラツキツキがある様子であった(それはその後の長い覗き経験から本当であることを知った。)。ともかくその日は、急に強い便意を催したらしい。

一戸建てとは言え、小さな官舎で、トイレは玄関の脇にあった。トイレに駆け込んだ母j親はよほど慌てていたらしく、如何にも、取るものも取敢えずといった様子で、トイレへ飛び込んだ。母はドアを閉めたつもりの様であったが、実際にはドアはきちんと閉まっていなかった。勢いよく閉めた反動で僅かな隙間を開いてしまった上に、母は内鍵を掛けるどころか、ドアがしっかり閉まったかどうかすら全く確認しなかった・・・それほど切羽詰まっていたということだったのであろう。私にしてみれば、正に棚から牡丹餅的な幸いであり、体を静かに傾け顔をその隙間に持っていくだけで、トイレの中を覗くことができる絶好の機会に巡り合った訳である。

我が家のトイレは、和式で、いわゆるその当時の列車型トイレ式であり、女性が小用を足すときには一段、三、四十センチ高い位置に上がるような構造になっていた。床に頭をつけるようにして見上げれば、それは私にすれば正に舞台のようなものであった。母は慌てた様子でスカートをまくり上げ、パンティーを一気に摺り下げると同時にシャガミ込んだ。子どもの頃から見たくて仕方がなかったトイレでの母親の尻丸出しの姿が目の前わずか数十センチの距離で…しかも見上げるような位置にあった。間一髪を入れず、母親の肛門が膨らみ、勢いよく脱糞が始まった。若干軟便気味ではあったが、決して下痢便ではない。次から次へと、太い大便が放り出されてくる。始めてみる大人の女性の脱糞姿である。私の周りの時間は止まったような感じで、ただ黙々と糞を放り続ける母の肛門に私の視点は釘付けであった。時間にしたらおそらくは1分間程度であったことであろうが、実に至福の一時であった。

やがて母の便意は収まったらしく、トイレットペーパーを手繰り始めると同時に排尿を始めたた。生憎と放尿の様子やマンコは見るにはもう少しあからさまに近づく必要があり、そこまでは出来なかった。丁寧に肛門を拭く姿を見ていると、母親が脱稿気味であることが分かった。私にしてみれば大きな発見であった。

母は肛門を拭き終わると、マンコの拭き取りにかかった。後始末を済ませ下着を上げる動作まで見続ければ…そう、もう少し粘れば、きっと一瞬なりともマンコも確認できたに違いないが、母に覗きが気付かれる可能性が高かいと思われたので、それは止めにし、私は靴磨きの作業に戻った。まるで何事もなかったかの様に。

その後数日間は、折に触れてこの光景が思い出され、授業中に勃起を覚えたりし閉口した。それ位、母の脱糞姿を見たことは強烈であった。これに味を占めた私は、次の計画にかかった。母が外出している間に便所の戸に覗き穴を作る作業である。目立たぬように2か処に直径5㎜程の穴を開けた。この覗き穴は、以後7年間に亘って大いに私を楽しませてくれた。母のみならず、多くの顔見知りの女性の陰部と排泄姿を見せて貰うことが出来るようになったのである。母親以外の女性の話はそのうちすることとして、ともかく母親の排尿や脱糞する丸出しの尻は、間近から数知れず覗かせてもらった。

時には下痢便から、はたまた難産の硬い便まで、状況は様々であったが、私の好みは硬めの便であった。硬い便は脱糞に時間を要するため、時間をかけてじっくりと母の肛門が膨らみゆっくりと脱糞する様子を覗き見することが出来たからである。当然のことながら、母親の、大人の女性の、「尻の穴」はすっかり見放題であった。それは最初の時に確認したように若干脱肛気味の肛門であった。20年以上後に父から、何かの折に、母親が痔持ちで脱肛気味であると告げられたが、私はとうにそれを直視みして(視姦して)知っていた訳である。さすがに「そんなことは既に知っている」とは言えなかった。

前述の様に、惜しむらくは我が家のトイレには前方には掃き出し口がないため、ここでも美明君の様に自分の母の排尿するマンコを前から見ることはできなかった。見れないとなると殊更それが見たくなるのは、持って生まれた性癖かも知れないが、それが実現するのはこの最初の覗きからなんと16年も後のことであった。・・・続く。

 

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