避妊具の実演販売も


“紀州のドン・ファン”として知られた和歌山の資産家、野崎◯助氏の謎の死は、急性覚せい剤中毒によるものとされている。
     
氏はかつて著書『紀州のドン・ファン』で自身の人生と商い、そして女性たちについて赤裸々につづった。
戦後の貧困を工夫とアイデアで生き抜いたその人生は「たくましい」のひとこと。
     
中でも出色なのが、氏が財を成すきっかけとなった「コンドームの訪問販売」である。
      
自転車でのコンドームの飛び込み営業。
今ではコンビニで買えるが、野崎氏が20代だった1960年代は、薬局の片隅にひっそりと置かれ、買う方はなかなか「ください」と言いにくい雰囲気だった。
「貧乏人の子だくさん」なる言葉も横行していた頃、農漁村には「夜這い」や「雑魚寝」の古い習慣もわずかに残っていた。
無軌道な性生活により子どもが増え、生活苦に陥ってしまうケースもあった。
でもコンドームはおおっぴらに買いにくい。
野崎氏はここに目をつけた。
      
薬局で買いにくいなら訪問販売はどうか、自転車に乗って和歌山県内の集落を訪ねてまわった。
今でいう「飛び込み営業」である。
避妊具自体、当時は口にするのも恥ずかしいもの。
気性の荒い漁師などにけんもほろろに追い返され、留守を守っていた妻たちには「帰れこのアホんだらが」と怒鳴られ、でも徐々に商品を売るコツをつかんでいった。
      
 ・恥ずかしいものを売っていると思わない(明るい声でセールスする)
 ・ノルマがあって売らないと帰れないアピール(自分のビジネスではなく、あくまで従業員としてふるまう)
      
などを実践し、少しずつコンドームが売れるようになった。
玄関先で奥様相手にセールストークをしていると「部屋に上がって使い方を教えて欲しい」と言われることも少なくなかった。
まさかの「実演販売」である。
      
 「腕を掴まれたままおずおずと廊下を進んでいきます。
  タンスのある和室に布団を敷いた奥さんは、
  さっさとかすりのモンペを脱ぎました。
  まだまだ明るい時間ですが、カーテンが閉められ、
  薄暗い部屋でねっとりとした視線が私に注がれるのです」
      
相手が好みのタイプでなくても断ったら仕事に差し支えるので、きっちりと求めに応じたという野崎氏。
この根性に加えフリーセックス時代も新たに到来、コンドーム販売は軌道に乗り大いに儲かった。
ここで得た元手が足掛かりとなり、後に金融業でも大成功をする。

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