私が小6のときに、叔父(母親の弟、当時19歳の浪人生)が私の家に住んでいました。宅浪というのか、毎日は予備校には行かず、我が家で勉強していました。
ある日のこと、叔父の部屋にゲームソフトを借りようとして、ノックもせずに入ってしまったら、叔父がズボンとパンツを足首まで下ろして、オチンチンを丸出しにしてなにやらしていました。
私に気がついた叔父が怒ったような顔をして、下半身裸のまま、私を捕まえて、私の手をつかみました。
そして、青筋を立てて、大きくなっているオチンチンに手を導き、上下に動かすように言われました。
私は同級生のオチンチンは皮をかむって、小さなものだったのに、初めて見る叔父のオチンチンは大きくて、先っぽが亀の頭のように飛び出して、サオは青筋があってポパイの腕のようでした。
でも、私もそういうことに興味があったので、言われたとおりにしました。すると叔父は「あっー、いく。」と言って、気持ち良さそうな顔をして、オチンチンの先からねばねばした白い液体を出しました。変な匂いがして、手を汚されましたが、その液体をじっくりと見てしまいました。
その日はそれで終了しましたが、次の日からは同じことをするように叔父から言われました。私も嫌ではなかったので、毎日ようにそのことをするようになりました。
最初のうちは、叔父と私が二人きりの平日の夕方だけだったのが、叔父がみんなが居るときでも、叔父の部屋に呼び出され、そのことをするようになりました。今思えば、伯父のような年齢の男性の性欲は非常に強いものだったと思いますが、当時はそんなことを知りませんでした。
ところが祖父が来たときに、やはりノックをせずに叔父の部屋に入ってきて、そのことがばれてしまい、叔父は祖父にこっぴどく怒られて、家から追い出されました。
私はそのことが出来なくなってとても残念でした。二年後に祖父が癌で亡くなって、大学生になった叔父が我が家に戻ってきました。よく考えたら、どうやって祖父が叔父を追い出したのか、またどうして戻ってこれたのかもわかりませんでした。祖父が私や叔父に気を使って、何とか追い出したんでしよう。
またおなじことができると思っていたら、すぐに叔父に呼び出され、さらに立派になったオチンチンをしごくように言われました。今度はさすがに叔父が気を使って、二人きりのときしかそのようなことをしないようになりました。私も性教育を受けたので、それがオナニーで射精であることは理解していました。その代わり、土日は両親が居ることから、そのようなことはできなくなり、月曜日と金曜日は一回だけではなく、二回、三回とさせられるようになりました。
一回目は白い液体がねばねばして、ピュッピュッと出すのに、二回目は白い液体でも割とさらっとしててピュッとしか出ませんでした。さらに三回目になると、なかなか射精しないし、ほとんど透明な液体が少ししか出ませんでした。叔父が気持ち良さそうにして、そのようなことに興味があったので、嫌ではありませんでした。
