母のブルマからレズ心


母のママさんバレーのユニフォームが、タンスの奥から出て来た。写真で見ていたが、現物を見るのは初めて。母が、ママさんバレーしていた昭和62年。下はブルマで、現在の陸上短距離と似ている。履い滑るて見ると、なかなか、心地も良い。ハーフパンツで、育った私。ハーフパンツの軽快感は無いが、冬の重ね着。これに、良い様に思った。そして、友人の志穂に見せた。志穂、私、昔のブルマを履いてるの。私は、ジャ―ジを脱いだ。愛子、何に、それっ!! 志穂は、驚き、笑った。そして、私の尻を撫でる。そして、私も、志穂の尻を撫でたくなった。志穂のレギンスを、撫でる。滑らかに滑る感触が、心地良い。二人は、体を密着させて、抱のき合った。もしかして、私達、レズなのかもね。自然と、口に出た志穂。そして、互いに服を脱いだ。まるで、銭湯の脱衣場の様に、何の抵抗も無く。志穂のヘアは、濃かった。そして、志穂からも、私のヘアを言われた。愛子のマン毛、全体的に丸いね。私は、これまで、毛の生え具合。これは、特に考えもしなかった。そして、志穂の指は、私の膣を押す。愛子、オナニーいつから、してる。私は、小5から、している。何か、急に触ったら、気持ち良くて。ん、私は、中1の入学した頃から、している。これまで、話をしなかった、互いのオナニーの始めた時期も自然と言えた。互いの乳頭を舐めて、いつの間にか、寝た。起きると、午後4時。日曜日の午後1時頃、私は、志穂に母のブルマを見せた。それから、体のからみ。ブルマの赤色と、脱いだ時のシワ。これが、母の、何してるとっ、どこか、怒り顔に見えた。

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