年の差不倫愛の告白


サラリーマン時代から退職後も続く、長い不倫の告白になります。
取引先のバーベキュー行事に招かれたのがキッカケでした。山の麓の河川敷会場までの往復に取引先の社員三人を乗せて欲しいとの要望で、私は運転の為にアルコールが飲めないのが残念でしたが・・。行きは会社前からでしたが、帰りは夫々の自宅を聞いて近くまで送り届ける事にしました。

帰路は、グルっと廻って総務の女性が最後になったのです。
行きに乗った時から、その女性の身長・体型・笑顔と会話に引き付けられていたのです。帰りの下車が最後になった時に、近くにあるレストランが話題になり、後日彼女に案内して貰う事にしたのです。
そして後日の会社訪問時には彼女が案内役になり、応接室で僅かな時間の間に小声で待ち合わせなどを約束して、当日は勤務後にタクシーでレストランに向かいました。
イタリアンレストランで美味しい料理と彼女との楽しい会話に魅力を感じて、再度の食事デートを約束したのです。
この時私は既婚176cm41才,彼女独身164cm25才でした。

再度のイタリアン・レストランでは、彼女も打ち解けて話が合うとウィンクするなど、嬉しさを顔に出していたので、食後に隣のカラオケスナックに立ち寄ったのです。
狭い店ながらブルースに合わせて踊る内に、次第に彼女の動きが少なくなり、次第に私の足の動きが彼女の股を刺激することで、私に抱きかかる様に、そして陰部の刺激にアーッと呟くほどになり、店を出た時に近くの暗がりで「貴女が好きになった!」と言いつつキスをすると「私も・・好きです!」の言葉が返り、一組のカップルが誕生したのです。
タクシーの中で「貴女の次の給料日にデートしたい」の希望のもとにその日会社を訪問すると、彼女と目が合い「ウィンク」が来たので、それとなく私もウィンクを返して月一回のデートが始まったのです。

その後のデートは目立たぬ様にとの気遣いから、月に一度会ってキスをしながらも、時には私の車の中で、人気の無い公園の駐車場でキスを繰り返す内に、シートを倒して体中をナデナデするなど、セックスの一歩手前までを楽しんで居た。

食事などデートが四回目の後の休日に、私の車で新緑の高原ドライブを楽しみ、帰路に「まだ早いから、少し休んで行こうよ!」の言葉と共にラブホに入ったのです。彼女は反対する事も無く、黙って私と手をつないだまま部屋に入ったのです。
彼女に緊張感を持たせない様に、キスをした後のシャワーは別々に、ベッドではゴム付けを彼女に見える様にして恐怖感の無いように配慮したのです。
タップリの口付けから股の間に体を入れ、キスは次第に首・乳首・下腹部に至るまでした後に、体を入れ替えてお互いに陰部を口にして舐めまわし、私の勃起とゴム付けも確認したのです。

間もなく正常位で、ユックリと抱き合ったまま挿入しました。彼女は呼吸が荒かったものの「アッ入ったわ」と安心した声。
なんと彼女の膣の穴の位置が普通よりもヘソに近い「珍しい上付きオマンコ」だったのです。(彼女はその言葉も事実も知りませんでした)。
一般的なのは、男性が女性の両足を持って拡げ、そのままチンポを入れるのが一般的な性交スタイルですが、抱き合ってキスしたままで挿入・ピストン・射精出来るのは最高の気持ち良さでした。

私との初めてのセックスを終えてからは、退社時に、車に乗った時にキスをして、ラブホに直行するのが当たり前になりました。目立たぬ様に車利用でラブホは都度変え、時間節約で食事は弁当持ち込みし、食事をしながらビデオの48手を見るのは参考にしました。
セックス頻度は、月一回ラブホと決めていました。デートの約束日に彼女に急用が出来た時には、なんと夜間の公園駐車場で短時間のカーセックスをする事も一つのパターンになりました。

性欲が二人共同じように盛んな時、彼女を含めて同社の社員有志15名が一泊でスキーに行った時も、二時間先が雪国だったので、スキーが経験豊富で冬タイヤの車の私に誘いがかかり同行しました。。
旅館の夕食後に広い部屋でゲームをするまでの合間に、なんと私が布団部屋倉庫を見つけて、中は何組かの予備の布団が積まれて真っ暗なのに気が付き、彼女に目くばせしてコッソリと二人で入り込み、真っ暗のまま短時間で布団の上で生セックスをした事がありました。
それ程、二人の体の相性が良かったのです。

彼女との交際が一年半経って26才、私が42才になったある日のベッドで「お見合いで結婚する事になった」と告白された。二か月後に退職し結婚すると聞き、この日「不倫セックス」最後の日となった。
変則ながら、私との交わりが大人としての悦びと自信につながったと感謝され、生理が終わったばかりだと生で最後の交わりを楽しんだ。

新婚夫婦は、新開発地の新築住宅に住んでいたが、一年過ぎてから電話があり「赤ちゃんが生まれたから見に来てよ」との誘いに営業の途中で訪問すると、彼女は赤ちゃんの横に布団を引いて昼寝するようになっていた。
彼女は「赤ちゃんは寝てるばかりで安心だけど、ヒマでつまらないの」と私に抱き着いてきた。なんと布団の上で結婚後初のセックスをしたのです。「既婚者同士のW不倫」の始まりです。

住宅街に昼間訪問するのはマズイと訪問する事は極力避けていたら「子供が間もなく保育園に通うから」を理由に父親が病死して空いた実家の部屋に、家族ぐるみで戻り、孫の世話は母親に面倒見てもらい彼女は午前中だけのパートに出る事になった。だから午後は友達とお茶したり出来るから、私とラブホに通う事も出来ると聞き、なんと独身時代と同じ様に月に一度の「W不倫」を楽しんだ。

お互いに、身長が、性格が、好みが、セックスのパターンやサイズが合うので離れられない間柄なのです。デートの費用は私が負担し、喧嘩無し、金銭の貸し借りは無く、ドライブの行き先やセックスのパターンは相談しながら「憧れの男と女」の交際が続くのです。
彼女40才、私56才になると、子供は中学生になり親離れしているのと、二人の性欲は飽きる事も無く。ケンカも浮気?も無いまま、まだまだ旺盛であった。
もっとも性欲が旺盛でセックスを楽しんだ頃だったと思われます。

ベッドでは、安定している生理のお陰で生のセックスにこだわり、セックス・ポーズはヤッパり「顔が見れる正常位で抱き合ったままイク時が一番」は二人の共通のポーズでした。

彼女が50才の時に私は66才で、最終勤務を終わった年には、彼女の子供・男は彼女が居てラブホのマッチが見つかったから「結婚する年頃なのよ・私達と同じラブホで出会ったりすると困るわーっ!?」なんて冗談も。

デートはお互いに高齢を意識すると共に、知り合いに見つからない様にと三ヶ月に一度にして、温泉一泊を年二回にした。まだ二人共性欲旺盛なので、宿は温泉旅館の貸切湯や部屋付き野天風呂・部屋食などを探し求めて楽しんだ。

知り合って36年目、彼女61才、私77才にして高原地帯の森林の中の高級ホテルに一泊した折の夜、ベッドに入ったものの、私のチンポがすぐには勃起せず、彼女の口のナメナメで漸く立つ事で無事射精・快楽気分を味わったが、以後は抱き合い、擦り会う程度だけで満足するようになったのです。
あと三年で八十才になります。免許返納時期も考慮しますが、婚姻外の男女交際は不倫と呼ばれるものの、家族や他人に知られず・迷惑を掛けずに楽しい思い出と共に生きて来られた事に感謝しています。
彼女に会う事もないが、元気らしいので安心してます。  おわり

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みんなのコメント

1 名前:名無しさん2022年12月23日(金) 22時22分48秒

うらやましか

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