前近代的な農村では「子供」は財産、、産む


一般に農本的な前近代世界では「子供」ってのは財産に近いんだよ。
      
6、7歳にもなれば立派な労働力。農作業もさせるし赤子の世話もさせる。
金を貰って富農の子守りに出すこともある。
童謡赤とんぼの「ねえや」だな。
限度はあるが生んだほうが親は生活が楽になる。
当然学校なんか行かせないし食うに困れば売ることもある。
口減らしも割と普通に行われてる。
未だに中国農村部では労働力として男児ばかり欲しがる。
高度な産み分けなんかできないから、女児は口減らしされてるんだろう。
      
逆に「大人の遊び」は性事以外ほとんどない。
セックス対象として12、3歳は当然と誰もが認識している。
そういう世界をリアルに想像してみろ。
      
今とは子供の育て方が違うからねえ。
死亡率も高いし。
      
今じゃ[季節の風物]って扱いの
ほおずき市なんかも実際は中絶目的も兼ねていたらしいな
あの時期に妊娠すると農繁期に支障が出るとかで
うろ覚えだが、買って帰ったほおずきの根を煎じて飲むかなんかしたらしい。
牛蒡をマムコに突っ込むってのもあったっけ?
      
でまぁ中条流とかって堕胎業者も居たらしいけど、
実際のところこの時代では中絶に失敗して障害が残ったり、命を落としたりするリスクや、
金銭的な理由もあって、特に農村部では産んでから間引く方が圧倒的に多かったらしい。
捨て子って場合も少しはあるだろうけどね。
間引いたことを隠語で「橋の下に遊びにやった」(バリエーション豊富)とかっていうのが、
昔のドラマで捨て子を「橋の下から拾ってきた」なんて言うのはこれが下敷きダターリする。
      
洋の東西を問わず太古の昔から、女児間引きは多かったらしく
発掘された成人の人骨から見ても、上流の方のレスで書かれていたように
比率は忘れたが絶えず一定割合でチソポの方が多かったらしいな。
      
でまぁ、江戸期の日本の経済的に底辺の人間じゃあ普通に
子供が生まれたら産婆が「置くか?還すのか?」って聞くんだってな、産婆を頼む財力も無いと
生んだその場で母親とかが始末するんだってな、
で、サントガラに包んで男女の違いによって柄杓やら扇子を添えて川に流したり、ムソバ等に
持って行ったんだってな~、それでなくても食うや食わずの生活してるのに必要以上に子供は
育てられんわな、でもって金が無いから他に娯楽も無くてセックルは辞められないんだが(藁

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