私は ファーストフードの店や電車の中とか駅などで、低学年の男子の中学生に逢うと 彼等の性の目覚めを想像して、胸が痛むような 甘酸っぱい感傷に囚われます。
しかし 今は情報過多の時代ですから、彼等は 自分の肉体の変化に対して、その変化の意味に戸惑う などと云うことは無いでしょう。その点 私の少年時代は、戦中戦後の栄養不足で成長が後れて居た上に Sexの情報が全く無いのですから、自分の肉体の変化に対して 不安や懼れを感じる憐れな情況でした。
私の少年時代は Sexに関する情報は全く目に触れず、やや長じて やっと、大人の見る エロ本・猥本・エロ写真・春画等を覗き見ることもある程度でした。だから中学の低学年の頃 自分のチンチンが膨らんだり固く突っ張ったりすると、小便をすれば 収まることもありましたが、大体は 収まる時期を待つほか無く、親にも何だか相談し悪くて 当惑するばかりでした。一時は 〝これは 病気じゃ無いか〟と 心配したこともありました。最近男の孫が二人出来て 見ていると、小学生なのにもう 膨らんだり縮んだりしていますから、つまりはそれを 意識するかどうかの問題だったのかも知れません。
そう云う現象は早くからあっても 栄養不足のせいか、私の初(精)通は 中学の高学年のときでした。私は親父が早くに死んで お袋一人の手で育てられました。お袋は収入の足しにするため 学生を下宿させていました。学生は私とっては良い兄貴分で 小説本などもよく借りて読みました。ある日その学生の留守に 何か本を借りようと部屋に這入ると、机の上に厚手のノートがあります。何気なく見ると 「新婚初夜物語」とか「壇ノ浦夜戦軍記」あるいは「悪い先輩のいたずら」みたいな題名の、手書きの 猥本です。思わず立ち読みする内に もう何やらチンチンはカチカチに固く突っ張ります。
本能的に 〝ココで読んでちゃ マズイ!〟と云う気がして、私はそのノートを持って 大きい方の便所に這入ります。中から桟を支って 読み続ける内にチンチンが何やら妙な感じになります。ズボンを下ろし膨らんだチンチンをイジくると 悪い気分ではありません。右手でチンチンをイジリながら 左手にノートを持ち読み続けている内にチンチンの先から何かヌルヌルしたものが出て来ます。さらにそれを続けているうちに いきなりズキンと腰にショックが走って、チンチンから 何だか白い汁がビュッと飛び出し、前の壁に掛かったと思ったら腰が抜けて 私は便器の上にへたり込んでしまいました。
後から考えれば 「チンチンが ペニスに昇格」した瞬間でしたが、そのときはもう 後始末に夢中です。ノートは 汚さなかったのが精一杯で、そっと 脇に置きます。壁に飛んだ白いネバネバは チリ紙で拭き、ヌルヌルのチンチンから 白いものが垂れたパンツ ズボンを拭き終わったときにはヘトヘトでした。便所の壷がチリ紙で一杯なので 水を持って来て上から掛け、嵩を減らして 目立たないようにする迄に一時間近く掛かったのではないでしょうか。それにしても さっきのあの白い汁は何だったのか?…、身体が毀れちゃったのでは無いか と思う反面、ズキンと走ったショックが エラク良い気持だったようにも思えてなりません。
ノートを元の学生の部屋に返し 自分の部屋に戻るとやっと人心地がついて、暫くは 寝転んで動けませんでした。その晩は寝床に這入ってから 自分のペニスをイジってみたのは云うまでもありません。昼間読んだノートで これが、女の人と何かをするのに 使うと云うことは判りました。寝床でイジって居ると また大きく固くなります。今度は何かを期待して ソレを揉みます。まだ シゴクなんてことは知ら無いので、そのまま ただ右手で揉み続けます。今度は確かにズキンと好い気持になって また白い汁が出ました。今度はウマク手で受けたツモリでしたが やはりシーツを汚してしまいました。初マスタベーションの 失敗です。濡れ手拭で摘まみ拭きしても なかなか取れませんでした。
その後は 下宿の学生が留守の時に、あのノートを読むのが 癖になりました。学生も お袋が部屋を掃除するので、そのとき見付から無いように ノートは机の抽斗の奥に仕舞ってあります。それを見付けて読みながら マスを掻いて、また元通りに戻して置くのです。段々慣れて来ると シクジルことも少なくなり、古新聞を持って行き その上へ白い汁を飛ばす知恵も出て来ました。そう云うことを知ってから 思い合わせると、世の中には 「ああ そう云うことだったのか」と納得することが多くあります。少年の知恵では まだ古本屋の立ち読みくらいですが、それでも心掛けていると 色々と眼に這入って来ます。中学の半ばには 凡そ男と女がどんな事をするのかの見当は付いて居ました。(ブログ「茫々録・走馬灯」より)◇