恭子に重い障害が残ったのは3歳の頃の発熱が原因だった。3日間生死の境をさまよい、脳の成長に支障をきたすようになってしまった。当時は、妻と共に大いに悲しみ悩みながら、その重い事実をなんとか受け止めるしか無かった。
その後、恭子が10歳のときには妻が病気で先立ってしまった。恭子を残してこの世を去ることを申し訳ないと侘びながら去っていった。
それから、勤めていた会社も辞め、貧しいながらも恭子の面倒を見ながら男で一つで育ててきた。
つい魔が差してしまったのは、恭子が15歳の時。妻に似た美しい少女に育った恭子は、体も発育してきて立派な女性に成長していた。いつも通り風呂に入れていたのだが、私も長らく独り身生活が続いていた事と、この後も恭子は男の快楽も知らずに育つのかと思うと、いっそ私の手でという気持ちで、むらむらと欲情してしまった。
まさか、実の娘に手を出すことになるとは思わなかったが、風呂場で体を洗う流れで、そのまま大きくなってきた乳房を優しく愛撫すると、何かを感じたようで「うぅ」という反応を示した。
それでタガが外れてしまったのだろう。激しく胸を揉みしだき、何もわからずに「あ、あ、あ、あ」と声を上げる恭子の秘部をも弄ってしまった。女として成長しきってもおらず、快楽についても何も知らない恭子ではあったが、本能的に拒絶して、いやいやの素振りを見せた。それでも愛撫を続けると、押し寄せる快楽に身を委ねるように、私の体にしがみつき細かく痙攣して絶頂に達したようだった。
私はギンギンになったイチモツを恭子の中にねじり込んだ。罪悪感と共にえも言われぬ興奮と快楽に包まれる。恭子の中はトロトロになっており、きつくて暖かかった。こう言ってはなんだが、妻のものよりずっと良かった。
私は夢中で腰を振り続け、気づけば恭子の膣内に精をほとばしらせてしまっていた。奥まで腰を打ち付け、ドクドクという痙攣とともに、押し寄せる快楽に身を委ねる。見ると恭子も背中を反らせて本能のままの快感を貪っているようだった。
興奮が覚めると共に、罪悪感が押し寄せる。「ごめん」とだけ言うと、シャワーを浴びさせていつも通りパジャマを着させたが、本人はわかっていないようだった。
それからというもの、悪いとはわかっていながらも、欲望に身を任せてしまうことがしばしばあった。恭子もそんな私を受け入れてくれているようだった。
ますますボリュームを増した乳房は、乳輪がぼやけて乳首が陥没していたが、亡き妻とよく似ていた。お風呂場で体を洗ってやりながらにゅるにゅると揉みしだくと敏感な乳首が顔を出し、更にはコリコリに固くなる。
恭子はすでに心得ているので、「うーうー」と言いながら後ろ手に私のイチモツを弄ってくる。不器用ではあるが彼女なりに愛撫してくれる様は可愛くて仕方がなかった。
そのままお互いに愛撫を続け、ころ良いところでバックで挿入する。最初の頃のキツキツの若い穴では無くなったが、トロトロで暖かく、膣内の襞が吸い付くように絡まりむしろ具合は良くなっていた。多少荒っぽく腰を振ると「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」という声を上げて何度も絶頂に達する。理性の歯止めが殆どないので、本能のままに快楽を受け入れているのだろう。私もたまらず精を放つが、妊娠させるわけには行かないので、あれ以来ゴムは付けるようにしている。ゴム越しではあるが、ビクビクと脈打つ私の下腹部の動きに合わせて、恭子もビクビクと反応している。色々つらいことも多いが、恭子と一体になっていると、幸せを感じてしまうのだ。