私が高校1年生の秋に両親が離婚をしました。
原因は私(サチ)です。
父は私が小さいときから溺愛していて、一緒にお風呂にも入っていました。
中学に上がったときに母から「一人で入りなさい。」と言われましたが、私は今まで一緒に入っていてどうしてと思っていました。
私の体はいつも父が洗ってくれていました。
当時、私には二人の弟もいたのですが、私は部屋を一つ貰い弟は二人で一つの部屋でした。
高校に入ってからそんな部屋に父が夜中一人で来るようになりました。
いつも優しかった父はお酒を飲んでいて、土木作業員として働いていたので力も強かったのです。
父は私が寝ている布団に入ってきて私を裸にすると体中舐めまわしてくるんです。
「お、お父さん、そんなこといや、、」
と言っても聞いて貰えず、父も裸になると私に襲い掛かってきたんです。
私は必死に抵抗しましたが父の力には勝てませんでした。
母や弟を呼ぼうかとも思いましたが、裸にされ恥ずかしかったのです。
そして私はついに父によって処女を失いました。
すごく痛くて痛くて必死に早く終わってくれることを願い耐えていました。
血も出ましたが生理と言うことで何とかごまかしました。
でもそんなことが2度3度続き、私は母に告白したんです。
「実の娘のあんなことをするなんて、あなたは獣よ。獣、獣、、」
と、母は父を罵り夫婦喧嘩になり周りの物が飛び交いました。
母は父に力では勝てないから物を投げて罵倒していたんです。
「実の娘を自由にして何が悪い。父親の特権じゃないか。」
そんなことを父は言い、母を殴っていたのです。
そしてその歳に開き父と母は離婚をしてしまったのです。
母は二人の弟だけを連れて家を出て行ってしまいました。
母の反対もあったのでしょうが、たぶん母は私が父を寝取ったと思って置いていったのだと思います。
その日の夜から私と父の二人だけの生活が始まったのです。
私が家事全般をし、父が働いて私を養ってくれるのです。
父はその夜から誰に遠慮なんかいらないとばかり、私といつものようにお風呂に入ると特に丁寧に隅々まできれいに体を洗ってくれるのです。
そしてお風呂から出ると私は自分の部屋ではなく父の部屋に連れて行かれ、
「今晩からここが俺とサチの寝室だ。サチは毎晩ここで俺と一緒に寝るんだ。」
そう言われたときは目の前が真っ暗になりました。
しかし、あれだけ嫌だった父との痛いセックスもだんだん快感になってきました。
私の中に入ってくる痛いだけの父のペニスも、何度も舐めらされているうちに上手になっていくと父からお小遣いももらえ嬉しくなってきました。
父は朝早い代わりに夕方には家に帰ってきました。
土木作業員なので雨が降ると仕事もお休みで、そんな日は私に学校を休ませ朝からセックスをするのです。
そして母がいなくなって1か月も経つと気持ちよくて喘ぎ声も出すようになりました。
父との二人だけの生活が昼も夜も父娘ではなく夫婦となっていたのです。
そんな父は私の男友達まで厳しくなっていきました。
高校のクラブは禁止だし、男友達二人だけで歩いていたら、、いいえ、ほかに女友達もいてその中に男がいたら「何やってんだ。早く帰って夕食の用意をしろ。」と怒ってしまうんです。
おかげで私の傍に友達はいなくなってしまいました。
社会人になっても残業があると父は会社に怒鳴り込んでいき、有休はちゃんととるように言われ私を家に縛り付けたいのです。
もちろん会社の先輩から告白されても父が断りに行ったり、時には喧嘩になって殴ってしまったこともあり、私は会社を辞めなければいけない羽目になってしまいました。
それからは父の専業主婦と言う形で30歳になった今でも家にいます。
毎晩父と一緒にお風呂に入り、同じお布団で寝てセックスの快楽を教え込まれ、話す人と言えば買い物に行くスーパーのレジ係に女性だけになってしまいました。
年に一度、私の誕生日には父が温泉旅行へ連れて行ってくれるのですが、それも父とのセックスの場所が変わるだけで、所かあれば快楽も変わるという理由なんです。
最近たまに父が連れて行ってくれるラブホテルで、裸になってカラオケを歌うのが唯一ん楽しみになってしまいました。
でも歌って疲れるのか、父とセックスをして疲れるのか、帰ってくるとぐったりなんです。
今でも父は私とのセックスでコンドームなんて使いません。
避妊薬や避妊リングも使用していません。
運がいいというか今まで高校生の時に1回、社会人になって1回妊娠はしましたが父に言われ堕ろしました。
でもこれからは、「妊娠したら俺の子供を産んでくれ。」と父は言っています。
私も30になりそろそろ子供が欲しいくなってきました。

良かったら「いいね」してください。誰でも「いいね」出来ます!


同じジャンルの体験談

トップページに戻る