歌垣に参加、性の自由を謳歌


夏の風物詩と言えば、盆踊り。
地元民が神社などに集まり、健全に踊り明かす。
しかしこれは、明治以降の話で、江戸時代までの盆踊りは、乱交の場だったのである。
そもそも盆踊りの起源は、平安時代くらいまでの古代日本で行われていた『歌垣』であった。
古代の日本の若い男女は、山などに登って、お互いに歌(和歌)を交換し合う。
要は合コンであり、昔はラブホがなかったので、「お持ち帰り」は、その辺の草むらの中で済ませた。
また、現代の合コンとの大きな違いとして、既婚の男女もまた歌垣に加わった(現代でもしてる人いますがそれはそれとして)。
古代の日本人は、歌垣に参加することで『パリピ』となり、性の自由を謳歌したのである。
    
    
参加した女性は、見知らぬ男と一夜限りのゆきずりの関係を結ぶこともあり、避妊技術の発達していなかった古代日本では、当然妊娠することもあった。
そうなったらどうするか? 別段どうもしない。
古代日本の民衆は、母系相続であり、夫が通ってくる「通い婚」の形態を取っていた。
当然、複数の夫が通ってくることもある(夫の方も一人の妻だけに通っているとは限らないのでお互い様である)。
だから母親の子供が誰のものだろうと、特に誰も気にしなかったのである。
     
     
     
     
     
「歌垣(うたがき)」
     
若い男女が特定の日時に多数集まって、飲んで食べて歌って、最後はコレとお互いに思った見知らぬ相手とエッチしてしまうという、目的が非常にわかりやすいパーティこそが、古代の庶民の間の「歌垣」でした。
春は「今年の秋も豊作になりますように!」と祈りがこめられて行われ、秋には「今年の豊作を神様に感謝し、来年の豊作を祈る」という趣旨で開催されたのが歌垣の源流です。

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