私の性的体験記(10)社会人‐箱根の保養所


前回:  私の性的体験記(9)社会人‐剃毛と無毛症

私の両親と洋子、2人の子ども達の6人で、箱根の健保組合の温泉保養所に二泊三日の旅行に出かけた時の話である。場所は箱根登山線の終点強羅駅からケーブルカーに乗り継ぎ、中強羅駅で降りた辺りで、この界隈には、多くの同様の施設があるが、その一角であった。午後3時過ぎにチェックインした部屋は、二階にある大きな和室で、風呂とトイレは共同であった。時間を持て余したので建物の探検に一人で出かけた。玄関はから入ってすぐの受付のある広間は大きな吹き抜けで、二階に上がるとの吹き抜けを囲むように回廊があり、いくつかの部屋があった。共同の温泉(大浴場)と食堂は1階にあり、2階のトイレは玄関から見て右側、回廊から垂直に曲がった通路の左右に男女別にあった。男子用に入ってみると個室は、見事に下に5~10㎝程の隙間がある、当時流行りの構造であった。当然女子用も同じ造りであろう。これはいけると思った。

トイレを出ると何やら外出から帰ってきたように思える二人ずれの女性の声が聞こえてきた。直感的にこれは来るなと思った。直ぐに女子トイレ入った。中には個室が4つあり、何れも壁に向かってしゃがむ和式であった。私はためらわず入口から2番目の個室に籠った。残りの個室は3個あり、左右の何れかに入れば覗ける。一番奥に入られてしまえば、外れであるが、確率は2/3。いや手前に入る方が確率的に高いかな?と妙な計算が頭をよぎる。(実際3日間の尾籠(おこもり)活動中に、一番奥の個室を利用した者は皆無で、殆どが一番出入り口に近い個室を利用していた。)

案の定、30秒程すると足音がして、女性の一人がトイレにやって来た。私にすれば最初の鴨・・・お客さん…ショーの踊り子さん…何と呼ぶべきか?ともかく大人の女性が私にマンコを見せにやって来てくれた訳である。彼女は一番手前の個室、私の右隣に入った。私はポケットに忍ばせた鏡を用意し、彼女の左前方から覗く形でスタンバイをした。下着を下す一時の間をおいて、彼女の生マンコが目の前に降りてきた。私は固唾を飲みながら彼女のマンコと排尿ショーに見入った。短い時間であるがそれは十分に楽しめた。初日は3人の見ず知らずの女性の丸出しの陰部と排尿ショーを楽しんだ。

翌朝6時過ぎに目を覚ました。母親もほとんど同じ時刻に目を覚ました。母は直ぐに起き上がると、そそくさとトイレへ向かった。
「そうか、今朝は出遅れたが、明日先にトイレに籠っていれば、念願の母の小用が前からマンコと一緒に見れるな」と
私は思った。その日も観光から戻ると散歩に出かえるふりをして、尾籠活動を始めた。暫くすると足音がして、マンコを見せてくれる女性がやって来た。彼女も一番手前の個室を開け中に入り戸を閉めた。例によって覗き体制になる私。足元を見ると靴下から何とそれは洋子であることが分かった。妻でも何で良い。生マンコと排尿ショーを見せてくれるのら楽しもうと思った。第一それまで洋子のトイレを覗いたことはなかったのでよい機会であった。

一瞬後、見慣れた洋子のマンコが視界におりてきた。和式トイレ故に両足を開く形になるが、既に使い込んだ洋子のマンコは自然開帳となり、尿道口や膣口まで露わになった。最初の子を抜いた後、洋子のマンコは緩んだ形になり、加えてその折、会陰の裂傷を防ぐ目的で医者が入れたメスのためか、膣口の下、尻の穴方向に丁度舌のような雰囲気で独特の形をしている。加えて左右アンバランスに肥大した小陰唇。多くの女性のマンコを見てきた私にすれば、比較的珍しい光景である。正に小母さんのグロマンである。

刹那、洋子の放尿が始まった。自然御開帳をし、あからさまになった洋子のマンコの尿道口から尿(いばり)は一条の奔流となて噴き出した。それは男子の放尿宜しく、一直線であり、マンコの周辺や尻に伝ったりすることなく、見事な放尿であった。それは初めてみる洋子のトイレ姿であったが、洋子がトイレ姿を覗き見されると、こんな光景で見られてしまうのかと思い、いつぞやの花巻温泉での覗かれ事件を思い出し興奮した。やがて放尿が終わったが、洋子はマンコを拭くでもなく、そのままの姿勢を保っていた。まるで隣の個室に見ず知らずの男が居て自分の生マンコを覗いているのを知っていて、
「どうぞ私のマンコをよ~く見て下さい」と、
股間を剥き出しにして自分のマンコをじっくり開示しているかの感じすらあった。いやいやそんなことはあるまい。洋子のこの静止行動は別の意味を持っていること私は知っていた。…脱糞に取り掛かったのである。私は、取り急ぎ斜め後ろから覗ける位置に手鏡を移動した。洋子の尻はそれ程肉付きが良い訳ではないので、和式トイレにしゃがむと肛門は、はっきりと丸出しになる。グロいマンコと違い、洋子の尻の穴はマンコから二人の子どもを既に抜いているのにも関わらず、いぼ痔や脱肛の形跡もなく、少女のようなきれいな肛門であった。そういう言葉があるならば「尻の穴美人である」。案の定、洋子は盛んに肛門を引きつかせる。しかしうんちは一向に顔を出さない。洋子はかれこれ5分間ほど努力したが全くの無駄骨であった。その間、洋子は肛門周囲を押したりして涙ぐましいほどの努力をしていた。挙句の果ては自分の指を肛門に突っ込み便を掻き出そうとすらしたが、それは一種の自慰行為の様にも見えた。おかげで、私は洋子のマンコと尻の穴…陰部を予想だにしなかったことであるが、時間をかけてじっくりと観察でき、洋子のおマンコ/肛門露出ショーを楽しんだ。正に花巻温泉の再現である。いや、あの時は小さな覗き穴だよりであった筈だから、私の方がズ~ウと条件が良かった。やがて洋子は脱糞をあきらめ、陰部を丁寧に拭き上げると、着衣を整えトイレを出て行った。

翌朝、6時前に目を覚ますと、ちょうど母も目を覚ましたようだった。私は取るものも取敢えず、部屋を出て女子トイレに籠った。数分を置かずして足音がして誰かがトイレにやって来て隣の個室に入った。足元を覗くと間違いなく母であった。これでやっと長年の夢であった、見たかった前からの開脚状態での母の生マンコと排尿シーンが見られると私は内心舞い上がった。が・・期待は見事に裏切られた。しゃがみ込んだ母の陰部は、垂れさがったネグリジェによって完全にカーテンが下ろされたような状態となり、マンコは全く見えない。それどころか、何時も見慣れた後ろからの排尿姿すらも十分には見れなかった。がっかり😞。

旅行から帰ってきて、洋子は慣れない両親との今回の旅行は緊張したせいか便秘して大変だったという話をした。肛門を指で穿ったが駄目だったとまで問わず語りで報告した。一部始終を覗いていた私には手に取るようにイメージが再現出来たが、一瞬、ことによったら洋子は私が覗いていたのを知っていて、時間をかけてショーを演じてくれたのかも知れないとも思え、すっかり揶揄われているのかも知れないとも思えた。真相は未だに謎である。

あれから40年程経つが、私はおろか、本人も知らない間にどれだけ多くの好事家が洋子のトイレ姿とマンコを覗いたのかは知る由もない。・・・続く。

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