合い鍵


 頼子が久しぶりに深酒した。午後六時に始まった小学校の同窓会が二次会に流れ、三次会に付き合ったところまでは憶えている。でも、その後、どうやって家までたどり着いたのか殆ど憶えていなかった。それでも酒には強い方なので足取りはしっかりしている。

 玄関で鍵を差し込もうとするのだが、何度やっても上手く入らない。おかしいな、と思いながら別の鍵を差し込むと今度はすんなり入った。

 「何だ、こっちの鍵だったの。」

 深くは考えず、玄関に転がり込んだ。男物の靴が目にとまった。

 「あら、やだ。帰ってるわ。泊まりだって言ってたのに。」

 独り言を言いながら靴を脱ぐ。ハンドバッグをテーブルに置き、次々と洋服を脱ぎ捨てる。一刻も早くシャワーを浴びて体から酒を抜きたかった。

 「何でシャワーがないのよ。」

 浴室にあるはずのシャワーがない。ぶつぶつ言いながら風呂の残り湯を立て続けに浴びた。頭の芯にしみ通る水の冷たさが気持ちよかった。

 「清さん、もう寝ちゃったの。」

 浴室から出るとバスタオル一枚巻いた体で隣のドアを開ける。夫の微かないびきが聞こえて来た。

 「帰って来たんなら、起きて待っててくれればいいのに。」

 バスタオルを床に落として生まれたままの姿でベッドに潜り込む。

 「ただいま。」

 夫の体に手を回した。

 「よく寝てるわ。まったく。」

 夫の手を取って自分の方に引き寄せる。結婚して三年。同窓会であらぬ期待をしていたせいか、今日の頼子は体の疼きを抑えることができない。勿論、このままでは眠れなかった。脚の間に引き寄せた夫の手を自分の体に擦り付ける。それでもその手は動かない。頼子が焦れたように腰を何度も振った。

 暫くして夫の指が確かめるような動きを始めた。寝ぼけているのだろうか、いつもと動

きが違う。

 「やだ、何やってるのよ。」

 思わず腰をくねらせた。指先が後ろを探り始めたのである。そうされたことは一度もない。夫は勿論、他の誰にも。

 夫の腹に手を乗せた頼子が思わずドキッとした。少し太り気味の夫には無縁の、固く締まった腹筋を感じたのである。そのまま手を下着の中に差し入れてもどこか勝手が違う。夫は結構毛深いのでお臍のすぐ下から毛が生えている。しかし、頼子の手はいつまでたっても滑らかなスロープを下って行くだけだった。ようやく指先に毛が触れた。そのまま下ろした手で握りしめる。その瞬間、頼子の体が冷水を浴びせられたように凍り付いた。

 (違う、夫じゃない)

 今、握りしめているものは夫よりも少し細めだが長さがはるかに長い。そして、何よりも形が違う。この手触りだけは間違いようが無かった。

 (そう言えば、ここはうちじゃない)

 頼子の頭がようやく回り始めた。そうだ、ここは前に自分が住んでいたアパートに似ている。玄関も、間取りもそれに間違いない。だから違和感が無かったのだ。

 (この人、誰)

 手の平にじっとりと汗が噴き出す。今、自分は見ず知らずの男のものを握りしめている。そして、その男の指が頼子の体をリズミカルに刺激し続けていた。

 (どうしよう・・・)

 酔いが一度に醒めて手が震えた。飛び起きて謝ろうと思ったが、何と言い訳けしていいか分からない。間違えました、ごめんなさい、では済まされない状況なのである。

 あれこれ考えながら、それでも頼子は握った手を動かし続けた。男の体はそれに大きく反応している。男の指が頼子の中に入ってきた。上手な指の動きだった。その指がスッと滑った。後ろへの愛撫は経験がない。恥ずかしさが入り混じり、それが頼子の身体から自由を奪って行った。

 (このまま気付かない振りして、行くとこまで行っちゃえ)

 頼子が決心するまでにそれ程時間は掛からなかった。

 「来て。」

 頼子が男の体を引き寄せた。待っていたように男が上になった。

 (長い)

 貫かれた瞬間、頼子はそう思った。夫の場合はかろうじて奥に届く程度だが、今は奥に届いた先端が更に深く頼子を貫いた。それは頼子が初めて味わう感触だった。

 頼子が思わず声を上げた。一旦入り口まで戻ったものが今度は斜めに押し入って来たのである。くねるように入り、再び奥に強い圧力が生じた。今度は角度を変えて、また斜めに何度も押し入ってくる。夫の場合は押し広げられる感じなのだが、奥までしっかり貫かれると、また別の快感がそこに生まれることを頼子は初めて知った。

 気が付くと頼子の上から男の体が消えていた。いつ離れたのかも憶えていない。そんなことは未だかつて経験したことがなかった。

 「素敵だった。」

 頼子が甘えるように男の脇の下に顔を埋めた。

 「え、」

 男が驚いたような声を上げた。

 「何、どうかしたの。」

 「その声、もしかして、頼ちゃん。」

 今度は頼子の背筋が凍った。自分のことを頼ちゃんと呼ぶ男はこの世に一人しかいない筈である。

 「マーちゃん、なの。」

 男は暫く答えなかった。

 「ねえ、本当にマーちゃんなの。」

 頼子が男にしがみついた。二人の間に挟まったものが少しだけ元気を取り戻していた。

 「参ったなあ。」

 「やっぱり、マーちゃんだ。」

 頼子の中で全てがハッキリした。ここは結婚前に自分が借りていたアパートである。結婚した年にちょうど大学に入った弟の昌明が引き継いでこのアパートを使うことになった。前後不覚になるまで酔ってしまった頼子は無意識の内にかつて自分が暮らしていたアパートに戻ってしまったのである。余分に作っておいた合い鍵は、どうせ弟が使うんだから返さなくてもいいとキーホルダーに付けたままだった。

 「まさかねえ。」

 昌明が頼子の背中を撫でながら呟いた。

 「頼ちゃんとしちゃうなんて。」

 「言わないで。勘違いしてたんだから。」

 「俺と清さん、間違えたの。全然体型が違うじゃない。」

 「うん、変だなとは思ったけど。」

 「いつ違うって分かったの。」

 「ここ握った時。」

 頼子の手が昌明の前を握りしめた。

 「清さんじゃないって分かっても、しちゃったんだ。」

 「だって、あそこまで行ってて、やめられる。」

 「うーん、それも分かるけど。」

 握りしめた頼子の手が動き始めた。

 「だ、駄目だよ。」

 「何で。」

 「またしたくなっちゃう。」

 「私もなの。困ったわねえ。」

 口では困ったと言いながら、それでも頼子は手を離さず、握りしめた手を微妙に動かし続けた。酔いが醒めてみると、ここが以前自分が住んでいたアパートだと気付いた時点で相手が弟だと分かっていた筈である。頼子は自分自身に疑いの目を向けた。果たして本当に見ず知らずの男に身を任せただろうか。心のどこかで相手が弟の昌明だと分かっていたからではないのか。

 「ねえ、もう一度したら、後戻り出来ないよ。」

 昌明が戸惑ったような言い方をした。

 「何で。」

 「今は相手が頼ちゃんだって分かってるから。」

 「分かってても、出来る。」

 「昨日までなら出来なかったな。」

 「私だって。」

 「やめようか。」

 「そうねえ。」

 背中に回っていた昌明の手がいつの間にか頼子の尻を撫でていた。少しずつ入ってくる指先が頼子にはもどかしい。頼子も握りしめたものを強くしごき始めた。

 「清さんは。」

 「出張で留守なの。」

 「そう。」

 お互いに離れる切欠を探していた。

 「でも、帰った方がいいんじゃない。」

 「多分。」

 言葉とは裏腹に昌明の指が後から襞の中に入り込んで来た。思わず頼子の手にも力が籠もる。頼子が片膝を持ち上げて昌明の上からのし掛かって行った。握りしめたものが襞の中で昌明の指に出会った。

 「困ったわねえ。」

 頼子がもう一度同じことを言った。昌明はそれに答えず、指先で頼子の襞を分けた。待っていたように頼子が握りしめたものを宛った。それきり、二人とも口を開こうとはしなかった。

 これっきり、今日だけのことにしなきゃ。そう思えば思う程離れがたい気持ちが募ってくる。頼子の脳裏に幼い頃の日々が浮かんでは消えて行った。五つ歳の離れた弟と遊んだ記憶は殆ど無い。昌明が中学生になって男っぽい臭いをさせるようになってからは疎ましく思ったことさえあった。肌と肌が触れ合うなんて思っても見なかった。そんな弟が今、自分の中で動き回っている。

 夜が明けても二人が離れることは無かった。表が少しずつ賑やかになって来る。そろそろ起きて家に戻らねば、頭ではそう思うのだが、自然に身体が弟を求めてしまう。若い昌明も同じような情熱で応じてくる。これで最後が三度続き、ようやく昌明が身体を起こした。頼子も仕方ないと言った表情で頷いた。

 「これ、置いてくわね。」

 風呂から出て身繕いを済ませた頼子がキーホルダーから合い鍵を抜き取ってテーブルの上に置いた。

 「持ってれば。」

 昌明の言葉に頼子が身体を固くした。

 「でも、」

 「持ってなよ。」

 暫く迷った頼子がコクッと頷いた。

 「そうね、持っててもいいよね。」

 昌明のアパートを後にした頼子の手に、その合い鍵がしっかりと握られていた。

 

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