寺社の参籠で授かった子ども、実は寺社での自由な性交渉で授かった


      
歌垣や市場や特別な芸能が行われる法会の場は、無縁の場所でありそこでは俗世の親子や夫婦の縁もきれて一人の女性と男性になるので自由な性交渉が行われた。
中世の参籠の場も無縁の場だった。
お伽噺や説話の中によく寺社に参籠したら子どもを授かり、立派に育ったというものがあるが、これは寺社という無縁の場で性行為したから子どもを授かったのだろう。
      
(ある程度成長した巫女が処女ってありえないんじゃないかな)
      
日本ほど処女信仰の希薄な社会も珍しい。
まあいわゆる「未開社会」に行けば似た例は幾らもあるんだろうけどやまと言葉に「処女」にあたる単語がないぐらい膜への意識が低い。
マリアまで処女にしちゃったキリスト教圏は世界でも屈指の処女崇拝地域。
      
「おとめ」は未婚女性のことで処女ではないんですよね
      
童貞も処女も、守るものでもないし、ましてや崇拝するものでもない。かつて日本の農村では、男の童貞は村のおばちゃんに筆下ろしされ、処女は母親が村の若い衆から相手を選んで「うちの子そろそろしたってえな」と言って、夜這いの夜に手ほどきされた。赤松啓介『夜這いの民俗学』
      
昔読んだ赤松啓介氏の「夜這いの民俗学」には、昔の日本の村社会では、村中やりまくりすぎて誰が誰の子供か分からず、親と言うよりも村単位で子育てをしていた、的なことが書いてあったような。
     
     
     
   そして今でも続く先祖供養の不思議、お墓に眠るご先祖様は私の誰なの?
      

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