昭和の初め、新聞にはこんな記事が


昭和の初め、新聞は連日こんな広告で賑わった。
「男児至急差し上げたし。生後一カ月。体健。血統保証」
「女児譲りたし。生後二週間。健全。極美。両親共高等教育有り。慈愛深き方に」
堕胎が禁じられていたこの時代、登場したのがもらい子商売であった。
      
昭和8年、ある男が殺人罪で捕まった。
彼は一年間に25人の乳児をもらいうけ、その25人をことごとく絞め殺し、養育料を稼いだ。
養育料は一人につき120円~200円。
      
昭和5年4月、東京・板橋で、子殺し団が捕まった。
彼らは紡績工場の女工が産んだ子を50円から100円の安値で引き取り、次々と殺した。
その数は一年間で30人。死骸は私立医大に解剖用として売っていた。
      
ある神戸の三味線師匠の女は、もらった子を自分の変態趣味の犠牲にした。
4つの子を170円でもらいうけ、芸者に売るつもりで三味線を教えた。
子どもが間違えると針や火箸で折檻したが、それが病みつきになり、
この子が保護されたとき、陰部周辺に27カ所、背中に30カ所の傷がつけられていた。

 

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