卒業直前に手編みマフラー贈る


彼に手編みマフラーを、贈りたい。この様に思って、手芸を始めて、高1の時は、仕上がり不満足で、彼に贈らなかった。これが、誤算に。この事は、思っていなかった。年が明けてから、コロナが、本格化。高2になってから、洗濯しやすい服装の通学。中学、高校の多くで、制服よりも、ジャ―ジ通学が、多くなった。制服を着て通学すると、マスクをしない様に、浮いて見られる。それでも、秋には、コロナ終息を思っていた。しかし、その兆しも無く。手編みマフラーに、コート、制服。これが、ジャ―ジになると、彼は、ウインドブレーカー。これに、手編みマフラーは、変に見える。そして、高3になっても、コロナ終息の兆しは無く、ジャ―ジ通学。迷った私は、最終手段に出た。放課後に彼のカバンに、手編みのマフラーを入れる。生徒会の活動の彼は、放課後に、生徒会室に行ってから、再びカバンを取りに教室に戻る。  何度も書き直した手紙は、マフラー編みました、良かったら使ってね、高山洋子。  家に帰って、カバンを開けたら、マフラーと手紙の出て来た事に驚いた。高山の事は、何とも、思っていなかった。スマホを持っても、指が動かない。 朝の通学バス、次のバス停から、彼、阿部康夫が、バスに乗って来る。私は、バスが、停車すると、頭を下げてバスの床を見た。そして、バスの走り出した直後に、肩を押された。洋子、マフラーなんて、ロマンチストだな。康夫に、言われた。そんな、全然違う、私、ロマンチストじゃない。康夫は、コートに、制服、そして、私の手編みマフラー。ジャ―ジでも、良いのに、制服にマフラーが、嬉しかった。 高校の帰り、初めて康夫の家に行った。彼が制服なのに、私は、ジャ―ジ。本来なら、私も、制服で、彼と歩きたかった。共働き、親の不在の康夫の家。ポテトチップス、コーラの飲食雑談していると、彼の手が、私の背中を上から下に、さする。洋子、良いかな。この様に言いながら、ジャ―ジの上着のファスナーを下げる彼。私も、覚悟は出来ていた。正座していた私の方から、立ち上がった。康夫は、ジャ―ジのウエストの紐を解く。そして、ジャ―ジを脱がす。イエローのパンティに、苦笑の康夫。一人娘の私は、時折、父が脱衣場の閉め忘れで、ちらりとっ、男の性器を見た程度。じっくりと見る性器が、私の膣を突く。洋子、膣外で、出そうよ。私のへそに、康夫のチンチンの先端が、突く。そして、生臭い匂い、牛乳の様な液体。ティッシュで拭き、匂いかいで、二人で、笑う。  勉強の出来た康夫は大学に進学、私は、親戚の洋品店に就職。康夫とのSEXは、春休みの数回。  約10年後、康夫は、地元放送局に就職。私の勤める洋品店が、ハロウィーンの衣装も販売している事から、取材に来た。店員さんも、仮装してます。康夫は、仮装の私に、気が付かなかった。

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