恩師と30年振り再会の性交


小学校の創立70年の式典で、小学6年の時に、隣のクラスの担任、市橋育子先生。いつもは、ジャ―ジ、スカート。まだ、小学6年の自分は、パンツスーツの言葉は、知らなかった。ただ、体育館の式典で、演台で、司会の市橋先生。子供の言い方なら、ズボンに、パンティのラインが見えて、ブラウスにブラが、透けて見える。オナニーを覚え始めた少年に、衝撃だった。そして、自分は、放送部。市橋先生の横で、CD再生などしている。小学6年になると、クラスの女子も、ブラを着ける様になる。しかし、小学6年より、大人の女性に憧れた。オナニーは、市橋先生の裸を想像した。そんな、絶対に、かなわない年の差の片思い。  小学校の卒業から、約30年。念願のマンションを、中古だが、購入。引っ越しの挨拶に、隣の家に挨拶が、市橋さん。この頃は、小学生の時の市橋先生の事は忘れていた。この時に有った市橋さもんは、まだ50前の様に若く見えた。それが、二ヶ月後の、小学校の創立100年の式典。元教師として、出席していたのが、隣の市橋さん。校門の前で、互いに、驚いた。そして、30年前の事が、一気に思い出された。市橋さんは、数年前に、夫は病死。娘も独立して、今は、定年の年金暮らし。自分も独身で、互いの家を行き来する様になった。焼き肉を食べる関係から、市橋さんの方から、体の関係を求められた。大丈夫、私、もう妊娠する体で、無いから。60前半なのだが、47、48とっ、50前でも、通用する。あなた、立派なちんちん。話を聞くと、約30年前、自分の中1の頃、妊娠していた、市橋さん。その後、夫のSEXレス気味で、この以降は、オナニー。あっ、この挿入、25年ぶり。小学生の時の夢が、奇妙な奇跡で、かなった。自分も45が近く、以前の様に、射精に勢い。これも、感じられない。ただ、市橋さんに、抱かれる裸の体温の温もり。これで、祝福を満喫。部屋の隅に、小さな仏壇と、夫の遺影。ちらりとっ、見て、心の中で、一礼する。

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