昔、金鉱、銀鉱山等で夫婦共働く女は下着など着なかった


江戸時代は勿論でもそう言うほど昔だけと言う訳ではなく
明治、大正、昭和も初期位までは、そうだったと言うお話です

さすがに石炭は明治以後ですが炭鉱は坑道も広く昔でもつるはし、
などを振るい掘っては蓑のようなもので運んだのでしょう、
案外女性も小さな蓑で運んだかもしれないが
坑道と言うのは暑く湿気もあり男も半裸にふんどしだけ
だった様ですが、女も似た様なものだっでしょう

そして昔から中でも!
金とか、銀とかの坑道は石炭の様に面を掘って行くのではなく
モグラが土の中に道を作るような形と同じく
金なり、銀の鉱石が一筋の土中に木の根のように延びているのを
追いかけるように掘って行く訳ですが、

一応背丈の坑道は坑道で有ってその側面からいくつもの穴が開いていて
その多くの穴がそれぞれモグラ道になっている、
最初の鉱脈が大きな時は1メートルもの大きさの穴で掘り進みますが

鉱石が少なくなればそれこそモグラ道の様に掘ると言うより
鉄棒で突き刺すような形で手掘りでその鉱脈を探しそれに添って掘っていく
その先はだんだんと採れる鉱石が少なくなればそのモグラの穴は細くなり
そうすると、最先端に女が入り、突き刺しながら鉱石を採り
その後ろにいる男へ渡す訳ですが

ふいごでずっと後ろから風を送る者も必要ですし
なによりもその先端の女の手先に蝋燭かランタンかで明かりで照らす者は
片手で鉱石を受け取り、後ろの者に手送りながら
先端を照らすのだが、当然のように先端の女の股間はしっかりと目に入る

せまい石の穴の中で働きまわる女は上半身腰周りまではしっかりした
衣服を着ていないといけないが、
そうなるともう股間など穿いているだけで暑いと言うより邪魔!
後ろに付く人間が夫であるとは限らないから男にすれば
つらい仕事の中の褒美みたいなおまけでもあったかもしれない

仕事が終わり皆がへとへとになって坑道から上がり
そう言う場所はえてして温泉があり、でも風呂と言うか池の様な中で体を洗い、
やっと休憩し、タバコなど吸い一息ついた頃に
まあ詰まる男たちの話は、エロ話くらいのもの

「おいっ、誰々のおっかあのオメコはすごくいい色をしてるなぁ」
と言えば「馬鹿か、ランタンの明かりでそう見えるだけだぁ!」
とか、「やっぱり誰々のおっかあのオメコの形が一番だなあ」
なんてな話がその、「誰々?」のいる前どころか
「誰々のおっかあ」にしても、隣にとは言わなくても
近くにいる場で安酒、どぶろくでも飲みながら
そんな話していたそうな、
鉱山とは言っても、石炭の炭鉱などより採れる物の値が違うから
医療においてまで数段良かったらしい

まあそうだったらしい?と言うお話  チョンチョン!?

良かったら「いいね」してください。誰でも「いいね」出来ます!


同じジャンルの体験談

トップページに戻る