父と離れられない


私の名前は楓、秋に生まれたから父がつけてくれたようです。24歳、社会人です。
いまある男性からプロポーズをされています。
しかし、父がなかなか会ってくれず悩んでいます。
実は私の母は私が小さい頃に亡くなり父子家庭なんです。
ですから父が私の事を手放すことを嫌がり反対して彼に会うのを嫌がっているのかなと思うのですが、それだけではないのです。
それは、私と父が体の関係にあることも容認していると思います。
彼とは2年お付き合いをしていますが私と父の関係は知りません。
彼はまじめと言うか私を大事にしてくれる方で、今まで私の体を求めてきたことはありません。
「楓とはちゃんとお父さんの許しを得てから、、それまでは我慢するよ。」と言ってくれています。

ここで私と父のことを書きます。
母がいたころは何処にでもいるような仲のいい3人家族でした。
父が働きに行き母が家庭を守る、私は学校へ行きお休みの日には家族3人でお買い物に出かける普通の、、、
私が小学5年生の時に母が突然の事故で亡くなってしまいました。
すごくショックで私は母の遺体を見ながら父の手をぎゅっと握っていました。
それまでは私と母と父と3人で一緒にお風呂にも入り寝るところも3人一緒でした。
母と父が同じお布団で寝て、私は母の隣で自分のお布団で寝ていました。
たぶん私が寝行ったあとで母と父は夫婦の営みをしていたと思います。
私が小学4年生の時、初潮が来て母と父はお赤飯を焚いて喜んでくれました。
しかし、母が亡くなったショックで毎月の生理が来なくなり、私は父に相談することも出来なくなっていました。
それでも何とか二人で生活をし、父は早く帰れるように会社の仕事の内容を変えてもらい、定時で帰ってきてくれるようになりました。
帰りにはスーパーへ買い物にいき食材を買って、私と父で食事の用意をして作っていました。
私と父は何とか早く母の死のショックから抜けだしたいと思っていたのです。
そして、出来る限りそれまでの家族のスタイルを守り続けていきたかったのです。
食事のあとは父と一緒にお風呂に入り、一緒の部屋で寝ることを心がけていました。
私はそれが普通の家族の姿だと思っていたのです。
ある日、私が父とお風呂に入っていると突然生理がやってきました。
父はそんな私を見て「楓、すまなかった。お父さん、楓の生理のことなんか忘れていたよ。いままでどうしていたの?」と聞いてきたことがありました。
その時になって私は数か月間生理が来なかったことを告げました。
「そうか、そんな大事なことをお父さんいは言えなくて、辛かったんだな、楓。」
そう言って私を抱きしめてくれました。
それからは私の生理はお父さんも管理することになったのです。
特段何をすると言う事ではないのですが、生理近くになると父が「楓、もうそろそろなんだろ。ナプキン持ったか。生理痛はないか、無理をするなよ。」と言ってくれるようになりました。
普通の家庭では母が言ってくれるのですが我が家ではそれが父でした。
だから、生理の時でも私は父と一緒にお風呂に入っていたのです。
少しでも下り物が出ると父は心配してくれました。
そんな話を友達としていてもみんなは母のことを言うのですが、私にとっては父なので黙っていました。
中学生になる前にセーラー服や学校の準備などは父が忙しく、叔母さん(父の妹)が来てくれていろいろ準備をしました。
「楓ちゃんも大変ね。年頃の女の子にはやはりお母さんのような女がいなかったらね。楓ちゃん大丈夫、お父さんだと相談もしづらいでしょ。」
「そんなことないですよ、お友達に相談してお父さんの言ったらなんでもそろえてくれるから。」
「そう、お父さんに言い辛かったら叔母さんに言ってきなさいね。」
「ありがとう、叔母さん。その時はお願いします。」
そう言ってその場は話をはぐらかしていたのですが、中学に入るのをきっかけに下着などもお父さんが選んでくれるようになったのです。
今の時代スーパーや百貨店、ユニクロやしまむらに父と一緒に行かなくても、ネットで十分サイズさえ分かっていれば下着なども買えるのです。
「なあ、楓、、今までのプリントのパンツや下着じゃなくて中学に行くのだからもっと女の子らしい下着を着けるか。お父さん、買ってあげるぞ。」
「ええ、嫌だ、それってお父さんが私の下着を選ぶって言うこと。」
「もちろんじゃないか、楓の下着をお父さんが選んでどこが悪い。これなんかどうだ。」
「どれどれ、、嫌だお父さん、それってTバックじゃない。」
「ダメか、、」
「ダメに決まっているじゃない、学校にだって穿いて行けないし、、」
「学校は学校用に穿いたらいいじゃないか。ブラだって、、これは学校用でこれが家用って。」
そんな話を私は父と二人でパソコンを見ながら話しハシャイデいたのです。
結局、学校用と家庭用に別れ私の下着とパジャマやネグリジェも決まってしまっていたのです。
しかし、そのすべての家庭用は父が選んだもので、学校用は私が選んだものでした。
しかし、学校用と言っても制服や運動着は規定の物があるので決まっていて、私は着替えの時に友達などに見られてもいいような普通に下着で、小学校で穿いていたプリントの下着などではないものだけでした。
そして寝るところも自分の部屋を主張したのですが、こと如く却下されてしまったのです。
「なんだ、いままで通りでいいじゃないか。お母さんと楓とお父さんが寝ていた部屋で、、」
それは私が小さいときに母が私の事が心配で母が隣で寝かせていた頃の話で、私も中学生になったのだからと言っても聞いてはくれませんでした。
「お風呂は一緒に入るのに寝るところは別々って変じゃないか。だったらこうしよう。空いている部屋がもう一つあるからそこにお父さんと楓のベッドを置いて、楓の勉強部屋とお父さんのプライベートの部屋は別々と言うことで、、早速今度の日曜でもニトリに行ってみてみようか。」
そう言って見に行ったのですが、その時も父に押し付けられて結局買ったのは私と父が同じベッドで寝るダブルのベッドだったのです。
今までの両親の部屋には父や母のタンスもあって和室で、、しかしベッドの置ける部屋は洋室で、物置として使っていた部屋でベッドだけを置いた部屋に変わっていたのです。
「これでいいだろ、お父さんも仕事を家に持って帰って時は自分の部屋でするけど寝るときはこの部屋で、、楓だって勉強は自分の部屋だけれど終わったらこのベッドでお父さんと一緒に寝るんだ、いいだろ。」
そう言う話になってしまったんです。
父と一緒に寝るとき、父は私とお風呂に入ると父が通販で買ってくれた家庭用に下着やネグリジェを着るように言うのです。
学校用の下着と違い生地が小さく色も原色でパンティーTバックと呼ばれる部類で、Tバックはほとんど紐状態でパンティーも横が紐になっている紐パンだったのです。
ブラもほとんどがチューブブラでときには乳首の部分に穴がいていたりしているのもありました。
それでも中1中2の時はそんなものをつけて寝ていたのですが、夜中父が私の体を弄っていてその感触で起きたこともありました。
「お父さん、何をしているの。」と聞くと、父もビックリした顔をし「いや、なんでもない、楓の体もお母さんに似て大きくなったなと思って、さあ、もう寝よう。」そう言って私に背を向けて寝てしまうのです。
そんな時私が風邪を引いてしまったことがありました。
父がすごく心配して看病してくれ、夜中に40度近い熱が出ました。
父は私の頭を冷やすため氷枕を持ってきてくれました。
「楓、これでどうだ。すぐに熱は下がるからな。」
「ああ、、お父さん、寒い、寒いよ。」
「ええ、、寒い。こんなに毛布も掛布団も掛けているのに、、どうしたらいいんだ。」
その時の私はたぶん熱で「うんん、うんん」と意識もなしに唸っていたと思います。
しかし翌朝になると熱も引きぐっすりと寝たおかげでスッキリしていたのです。
父はと言うと、夜中に私のパジャマや下着をすべて脱がし裸にすると自分も素っ裸になって私を抱きしめ添い寝してくれていたんです。
「お父さんが学生のとき山で遭難してしまってな、寒さで凍死しかけて雪蔵を掘り一つの寝袋に二人が裸になって抱き合っていたんだ。人の肌って抱き合っていると温かくそのおかげで生き延びたんだ。」そういう体験を教えてくれました。
しかしそれには落ちがあり、「相手が女性だったらすごく良かったんだがその時に登った者はすべてが男性で、生き延びたけれどうんざりしたよ。」って。
そんな話を聞くと笑ってしまいました。
それからなんです、冬になると私も父も裸で寝るようになり、しかも抱き合ってなんです。
父のほかの体験談を私は同じベッドで父と二人裸になって聞くのが通例になっていました。
「お父さん、私そんなにお母さんに似ている。」
「ええ、、どうして、、」
「だってお父さん、よく『楓はお母さんに似てきたな。』って言うじゃない。」
「そうだあ、お母さんも胸は小さかったけれど張りがあって撫でると気持ち良かった。ここの毛だって少なかったしでも細くて短くて、、」
「もう、、お父さんたらそんなに触ったらこそばいよ、」
「そうか、どれどれ、、」
父はそう言って私の体を撫でまわし、そのたびに私はこそばいと言って暴れていたんです。
そんな父でも私が15歳の誕生日が来るまで私に手を出さず処女を守ってくれていたんです。
それまではくすぐりと愛撫とキスを併用して私の体を気持ちよくしてくれていたんです。
時には私の方から気持ち良くなりたくて父のペニスを握って求めたこともありました。
それでも父は求めに応じてくれなくて、私の胸を舐めたり吸ったりして、股間も口や舌などのフェラだけでそれ以上私の中へ入ってこようとしなかったのです。
しかし、私が15歳、中学3年生の誕生日の日は違っていました。
父がいつも以上に私の体をお風呂で丁寧に洗ってくれるのです。
その前には食事のあといつもより大きなケーキを買ってくれていて食べていたんです。
まさか、今晩と思う反面お父さんのペニスが入ってきたら痛いのかなと思ってしまいました。
友達の中にはすでに同級生や学校の先輩の高校生と関係を持っている子もいて、痛かったとか痛かったけれど何回かしていたら気持ちよくなってきたとか言って、やはり経験してみないと分からないようです。
でも、父の手や指、口での愛撫やクンニでは凄く気持ち良くて、まだ処女だけれど何度かいかされた感はありました。
そしてお風呂から出ると父がバスタオルで体を拭いてくれ、なにも着ないまま寝室へ連れて行ってくれました。
「楓、今日は楓の誕生日、楓ももう大人の体だけれどそれは外見だけ。体の中から大人になってもいいと思う。だから、今日からお父さんが楓を大人の体にしてあげるから、、いいよね。」
父が私をベッドに寝かせ目を見つめて言うのです。
私も父の目をしっかり見て頷いていました。
父は私の体全体に口で愛撫をしクンニもしてくれました。
「ああ、、お父さん、気持ちいいよ。お父さんも気持ちよくなって。私がお父さんの物を咥えてあげるから、、」
「楓、今日はいいんだ、今日だけは楓だけ気持ちよくなれば。」
父はそう言いながら私を愛してくれました。
そして私の脚を大きく広げて間に入ると私の股間へペニスを宛がい、私の体をがっしりと掴むと一気にペニスを私の中へ入れてきたのです。
「うううう、、お、お父さん、痛い、痛いよ。」
私はそう言いながらでも父の体にしがみ付いて耐えていました。
それはまるで私の体が股から真っ二つに裂けてしまいそうな痛さで、でも耐えるしかなかったのです。
少しの間父は動かずにいましたがそれでも少しすると腰を動かし始めました。
「ああ、、お父さん痛い、痛いから動かないで。」
そう言っても父は私の言う事を聞いてくれませんでした。
それでも私が我慢していると
「楓、いいか、今晩から楓は私の物だ。お母さんのようにならないでお父さんだけの物になってくれ。」
父が変なことを言っているなとは思っていましたが、その時の私はそれどころではなかったのです。
股間の痛さは父が私の中で射精しても続いていました。
そう、私は父に処女を奪われただけではなくマナの中出しで精液を注がれたのでした。
そして父の物が私の中から抜かれると、そこには白濁の精液と処女の証の経血までついていたのです。

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