50代夫婦の昭和の思い出実話①「妻の写真」


皆さんの投稿、楽しく読んでいます。読んでいるうちに自分の経験を語りたくなりました。今回初投稿ですが、私達夫婦が過去に経験した体験談を書かせていただきます。妻との体験は現在までいろいろありますが、初回は結婚当時に発生した妻のエロ写真ことです。

妻は161cmのスレンダーな体形で50歳になった今でもほとんどかわりません。結婚は妻が22歳のときで、性格は私にも人対しても優しく親切で素直な女性でした。顔は美形とまではいきませんが、もっている性格から、私と出会った某市青少年ホームに来る女性達の中でも、男性達から特に人気が高かった女性でした。

親に認められて結婚前提の付き合いだったので、結婚前から郊外へのドライブデートを重ねていましたが、スナップ写真はもちろん、私の憧れだった妻との思い出を残そうと、ラブホテルでの行為も記録したいと思い、妻もそれに嫌がることなく私のために撮影を許してくれました。当時はデジカメなど無くて35mmフィルムか、ポラロイドカメラの時代でした。原像焼付してくれる知人もなく、ポラロイドも僕の安月給では買えなかったので必然的に撮影した写真を何処かの店に出すことになります。35mmフィルムも価格が安くはないし、現代のデジカメのように記録メディアを目的別に入れ替えることができないので、妻との日常のスナップからラブホの行為まで24枚撮りフィルムを撮り切ったあと何処かの業者に出さなくてはなりません。安価な取り扱店より、少しでも高画質な画像を求めると専門の写真スタジオになりますが、内容を見られると恥ずかしいので、近隣ではマズイと思い、隣町のスタジオのある専門店に意を決っして出したのです。数時間後の受け取りはドキドキでした。パッケージの紙の袋には連絡先の住所・氏名・電話番号が書かれているし、出来上がった写真の確認を求められたので心臓が破裂しそうなくらい緊張しました。受け取ると逃げるように自宅に帰り中身を確認すると・・妻のアンダーヘアや性器モロ見え部は白く焼きつぶしてありました。店員が写真の内容を確認した後、法律に触れるものはフィルムを修正したのでしょう。当時はまだアンダーヘアが解禁されてない頃でしたので仕方ないと諦めましたが、10枚くらいある妻のヌード写真を見て成果を喜びました。その後も妻とデートを重ねるたびに同じように撮影しました。結婚後、妻と一緒に暮らすようになってからは、自宅でいつでもヌード撮影が出来るようになり、回数も自然に増えてきました。夫婦で行う行為の内容も回数を重ねていくうちに慣れとマンネリが生じてきて、その当時あった素人投稿雑誌を購入し、そこに掲載されている行為を見よう見真似で妻にやらせたり、雑誌の宣伝広告に載ってるバイブや責め道具等も購入して、徐々に過激な方向へと走っていきました。その後の出来上がった妻の写真を見るのが楽しみになっていったのです。

問題が起きたのは子供が幼稚園の年長になったころです。僕の心臓が止まるか?とばかりに驚くべきことが発生しました。当時は子供の行事で父親が、忙しい会社を休んで参加することはありえない時代だったのです。そこで妻にも35mmフィルムカメラを購入し、主に子供の記録や運動会の写真も撮ってもらってました。撮影した写真はいつもおまけに付いてくるポケットアルバムに整理して、嬉しそうに子供の活躍を説明しながら僕に見せてくれてました。ある日、帰宅すると妻が留守で、たまたま出来上がった子供の写真の入った紙袋がそのままにテーブルの上に置いてありました。ふと見ると取り扱った店の名前が目にとまりました。そうです。よく見ると妻が撮影した写真と、僕が妻の極秘写真を出している店は同じだったのです。それも、2週間くらい前に妻との行為でかなり危ない写真を受け取ったばかりです。僕は愕然としました! 受け取りの連絡先がしっかり書いてあるので、出来上がった写真を受け取りにきた妻のことを店員さんには当然わかっていたでしょう。もしかしたら店員が妻の写真を焼き増しして持っているかもしれません。何も知らない妻が店員から子供の写真を受け取る様子が頭に浮かんできました。僕がうかつでした。子供を通わせた保育園はN町という隣町で、その写真店は幼稚園と自宅へのバス通りの途中にある店だったのです。

そのことがあってからも妻の極秘写真を撮影することはやめませんでしたが、取り扱う店を遠方の店にかえました。勿論、妻には言えないため、二人の子供が卒園するまで4年の間、妻はその写真屋に出し続けてました。現在でも妻にはそのことを言えなくて秘密にしています。

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