奇才監督・ヘンリー塚本「貧困にこそエロスが」


    
──監督の作品は昔から近親相姦がテーマとしてよく取り上げられています。今でこそAV市場で近親相姦は人気ジャンルのひとつになっていますが、昔はなかった。初期の頃、禁断のテーマに挑戦することで弊害などはありましたか?
    
「弊害はなかったです。でも、ビデ倫を通す苦労はありました。たとえば、実際の父と娘がやるというのは倫理的にダメですから、ビデ倫は通してくれないんですよ。そこで、血のつながりがないという設定にしないといけないので、テロップを入れるなり、セリフで説明しないとダメでした。僕の頭の中では実際の父と娘という感じで描いている作品も、そのような設定で撮っていました」
    
──なぜ近親相姦だったのでしょう。
    
「通常のセックスものなら、世の中には石が転がるがごとくあるわけです。でも、なさそうであるのが近親相姦なんです。特に昭和の時代はそういう話が結構あったんです。男尊女卑で男が強かった時代、娘に手を付けちゃう親父もいたわけですよ。娘はやられて嫌がるけど、やられているうちに快楽をおぼえ、愛も生まれていったという。ひとたび垣根を越えた近親相姦の世界は感動があります。しかも、なかなか他所では見られない世界ということで、わたしがドラマとして一番描きたかった世界でもありました。魂を込めて作ることができる題材です」
    
──自身の経験は影響しましたか。
    
「昭和18年に生まれて、亀戸から2歳で千葉に疎開しました。その後、中学一年までそこにいたんだけど、千葉で過ごした時代の体験が自分の作品の原点になりました。そこに自分の昭和があったんです。貧しかったですから、貧しいがゆえにいろんなことを垣間見ることができました。僕が描いているすべてのことが、その時代のいろいろな記憶の中で生まれてきたことです。自分の中で一番描きやすい世界です」
    
──貧しさの中にこそエロスがあるというのは以前からおっしゃられていますね。
    
「そうです。ビスコンティみたいに貴族に生まれた監督は貴族の世界を描くのが素晴らしいと思いますよ。でも、僕は貧しさの中で生きてきましたから、そこにエロスを感じます。貧しさというのは不思議なもので、いろいろと性と直結できるんですね。貧しさゆえに仕方がなかったとか。倫理を外れ、オブラートに包まれずに、性と結びつけることができる。自分が貧しかったこと、それから朝鮮職場で働けたこと、自分の体験したこと全てを神に感謝というか、人生に感謝してます」
    
──障がい者の方の性愛もよく描かれますね。盲目の美しい女性マッサージ師の性や、車いすの女性、寝たきりの人、また以前からよく描かれている、顔に重傷を負った女性の話など。これらも家庭内相姦を絡めて描かれることが多いです。
    
「身体障がい者も、もちろんセックスをする権利がある。彼らにも性欲がある。人からはそういう対象にされにくいけど、性欲は沸々とわいてくる。そんな人たちの性をなんとしてもドラマ化したかったんです。台本を書いていくうちに世界が広がって、ケロイドの女性の話も生まれてきました。美しい人の顔の一部がケロイドのように醜くなってしまった、人に見せることもできなくなってしまったけれど、一糸まとわぬ姿になると、そこ以外は本当に美しい……。人様がやらない世界、人様が描かない世界にわたしの場合、果敢に挑戦したんです。それがこの業界で生き残っていく術というのもあったけど、ひとつのポリシーでもあり、自分の個性だと思っています」
    
    
    
https://www.menscyzo.com/2012/01/post_3498.html
     

 

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