少年網タイツ


小学3年生から高校1年まで、僕はバイオリンを習っていた。音大進学が両親の目標だったが、狭い門は相変わらずでとうとう16才の誕生日に弓を捨てた。今は製薬会社で主任技師を務めている。
これからの話は、もう何十年も前の話、中学2年の話だ。コンクールでの成績から奏者としての将来がみえなくなってきた頃の話だ。僕は某芸大の講師先生の自宅で個人授業を受けていた。実技指導とジュニア楽団への推薦が狙いだった。先生は年齢は40過ぎで、奥さんと子供がいた。だけど僕は7つ上の先輩から聞いていた。先生は隠してはいるが、少年愛者であることを。僕は子供ながらに悪魔になることを考えた。

先生のレッスンがある水曜日。僕の服装はデニムの半ズボンに白いハイソックス。時代的には小学生も膝丈のハーフパンツが主流になっていて、裾が二分丈の短いズボンを穿いている子供はかなり少数だった。しかもその時、僕は中2で、半ズボンを穿く年齢ではなかったし、そのBIG JOHNのパンツは小学生の頃のものだったから身長152センチのお尻にはサイズ的にピタピタで、両方のお尻の形がそのままだった。
普段は中学の制服姿だったから、デニム半ズボン姿の僕を一目見るなり、先生が色を失うのが見てとれた。レッスン中、先生の濁った視線が僕のお尻や生足を彷徨うのがわかったが、その日は何もなくレッスンは終了した。ただ、先生宅からバスで帰宅後、盛大に自慰をして、大量のスペルマを吐出していた。

翌週。僕の悪戯はさらにきわどくなっていた。当時、アムラー風のファッションが若い女の子に流行していて、大学生だった姉も黒い網タイツを身につけることがあった。姉の部屋からひそかに調達した網タイツに足を通して見た。端をベルトで留めるタイプで悪戦苦闘したが、なんとか下半身に網タイツをまとう事が出来た。それに例のBIG JOHNを穿き、ジャージを上履きした。そして、先生の自宅庭先でジャージを脱ぎ捨てバッグに詰め、先生宅の呼び鈴を鳴らした。日中は奥さん不在なのは計算済だ。

僕のファッションに我慢できなくなった先生、誰にも言わないで欲しい、と頭を下げてきた。僕は頷いてBIG JOHNを脱ぎ捨てた。そこから 先は話すことではない。

良かったら「いいね」してください。誰でも「いいね」出来ます!


同じジャンルの体験談

    みんなのコメント

    1 名前:薔薇の香り2023年03月22日(水) 22時25分44秒

    少年網タイツさん、ぜひぜひ続編お願いいたします。先生と二人きりになってからの詳しい話を聞かせて下さい。
    最後までいったのかな?濃厚な男の子のミルクを飲ませただけかな?
    続編を詳しくお願いします。

    2 名前:少年網タイツ2024年02月05日(月) 17時23分17秒

    薔薇さん
    続きを書くつもりはなかったのですが、記憶を整理して…。

    それから数ヶ月。東京の某ホールに著名な海外楽団コンサートに行くことになった。先生が母親に提案したもので、僕の勉強になるからという理由づけ。東京までの日帰りはさすがに厳しい距離だから、都内のホテルに部屋をとっていた。すべて先生の書いたシナリオだ。中2の二学期、街にクリスマスソングが流れ始めていた。

    その日。
    先生が運転するフォルクスワーゲンに乗り込み出発した。気温はかなり下がってはいたが、ツイード生地のジャケットに白シャツ、千鳥格子柄の半ズボンにハイソックスだった。中学受験の時に親が買ってくれたもので、気に入っていた。本来は黒い長靴下を付けるのが正装なのだが、身長が150を超えていたので長靴下は諦めた。先生は僕の生脚を見るなり、たちまち卑わいな視線を送ってきた。
    コンサート会場は都内某女子大のホールにあった。世田谷のキャンパス内に入ったところ、数人の女子大生から「あの半ズボンのコ、かわいい!」と嬌声が聞こえてきた。あのお姉さんが相手なら良かったのにな。どうしてこの変態中年にペニスを弄られないといけないのか…

    3 名前:少年網タイツ2024年02月08日(木) 16時56分45秒

    その頃になると、演者としての将来に希望がもてなくなっていた。技量・正確性もあるが、それ以上に楽曲の解釈や表現性のところで、他の同世代のバイオリン仲間と比較してしまう自分がいた。
    とはいえ、この業界は結局はコネと口利きがモノを言うので、先生を誘惑して…というのは、子供心にも卑劣な企みでした。
    その反面、成長期で筋骨が逞しくなるところで、一方でまだ美しい四肢を曝け出したい欲を抑えられない自分もあった。水着やトレパンではダメだった。パツンパツンの半ズボンにハイソックスが必須アイテムだった。
    ホモ行為には興味はなかったが、僕の白い太ももを愛でてくれる先生のことは悪くはなかった。
    初めて陰部にフェラチオを受けた時は、びっくりしたのとおぞましさもあったが、生まれて初めての精通は先生の口腔だった。

    ちゅぱ ちゅぱ…
    あ、先生、なにか上がってくる…
    じゅる、じゅる…
    ひ、は、は  あっ

    びく びく びく
    惨めな嬌声の後、先端から黄身かかった液が迸っていた。

    メタルフレームの眼鏡に、僕の体液の雫をつけながら、先生は満足そうに僕のスペルマを飲み干していた

    トップページに戻る