田舎 ⑦


前回:  田舎 ⑥

月曜日。早速、タケシが紙袋にかなりの量のコンドームを学校にもって来てくれた。
「テキトーに2回つかんだ分を持ってきた。何だか年末のつかみどりみたいで面白かったよ(笑)」
「タケシ、ありがとう」
「兄貴は『いつでも呼んでくれ』って(笑)』

これで『最強アイテム』は手に入った。
さっそくサチをさそってみる。だけど小声で
「一昨日終わったばかりだから多分大丈夫」
と耳打ちした。うれしさ80%ガッカリ20%ってトコだった。

今日の掃除当番はジャンケンで決める事に決まった。あらかじめサチとはグーを出す事に決めている。一緒ならば勝っても負けてもいいジャンケンだ。
一回戦で僕たちは『まんまと負けた』。
なのでタケシとマキは先に帰す。

二人で掃除しながら
「ケータ、どこでスル?」
「二階の階段下の用具部屋は?」
「い~ね!!決まり!!(笑)」
頑張って掃除を終わらせて、用具部屋に入った。ドアを閉めると真っ暗だけど、二人に明かりは必要無かった。
僕はズボンとトランクスを下げて低めの台に座り、サチを抱っこするように迎える。
サチの中を触るともう湯気が出てるくらいに熱く濡れてる。

「ごめんね。一ヶ月も出来なくて・・・私もどうしていいのか分からなくて。保健室の先生から渡された小さな本で勉強したの。今日なら大丈夫だって。もう誘ってくれないのかって心配だった」
「サチが謝る事じゃないよ。今日だけじゃなく毎日大丈夫なモノをもらったから」
「ホント?でも今日はたくさん・・・ね。」

久しぶりだったのか二人とも激しかった。対面座位でサチは腰をゴリゴリと押し付ける。上下に動かすよりもこっちの方が好きらしい。ヌチャヌチャと音がする。サチの声を抑えるために僕の口でふさいだ。
キスしたままサチの奥に注ぐ。サチも同時にイッて僕の腰を両足で強く抱え込む。

サチはティッシュで僕のを拭いてからそのティッシュを自分のワレメで挟んでからショーツを履いたみたいだった。
「お風呂でよく洗ってね。ティッシュが付いてるかもよ」
って笑った。

それから二年半・・・。
僕たちは中学二年生になった
中学校は村にひとつだけ。小学校では四人だったクラスがいきなり40人のクラスになった。
僕たちは『最小派閥』だったが結束はどこよりも強い。
四人の関係は小学生から変わらなかったがタケシとマキは『それなりの関係』に昇格したみたいだった。
なんで知ってるのかと言えば僕もマキと『3回ぐらいヤッたから』。サチもタケシと関係があったみたいだが、それは直接聞いてない。
僕らの中では『セックス』はそれほどの意味もなく
『相手と気持ち良くなる行為』
ぐらいでしかなかった。

部活をやると帰りのスクールバスに間に合わないので「強制入部」は免除されていた。
『農協前』のバス停はタケシとマキ、僕とサチがほぼ毎日交互に途中下車していた。土日のどちらかはタケシかお兄さんと。

部活をやらない代わりに勉強は頑張った。一年生の中間からクラス(=学年)一番をキープしていた。万年の二番は村長の孫。小学生まで『神童』と言われていたらしいが、中学生になってからは三人の家庭教師がクビになったらしい。 

お兄さんから
「ケータ君とタケシが頑張るからあれだけあったコンドームが3分の1ぐらいになった」
と大笑いされた。
「夏に彼女と結婚するから全部二人にあげるよ」
と言った。
「それじゃ、もう・・・」
「心配しなくていいよ」
と笑って僕の髪の毛がぐしゃぐしゃになるまで撫でた。

ヘトヘトにされて家に帰ると父が嬉しそうに
「秋に東京に戻るぞ。学校は二学期までだな」
と言ったが、僕は目の前が真っ暗になった。

「お前はもう『村の子』になったつもりだろうが、高校はどうする?」
それは現実だった。この村には高校はない。この村は二つの県と接していて進学先は隣町の高校とそれぞれの県境を越えた二つの高校の三校に分かれる。三つの高校は村の中心部からバスで40分以上かかる。商業、工業高校に進学したい者や優秀な生徒は親元を離れて下宿する。
結局はバラバラになるのだ。

終業式まで誰にも言えなかった。その前日にサチと会ってもその事実は言えなかった。
その日は『ひみつ基地』でサチと求め合って二人は全裸に靴で沢まで降りた。
あの時と同じ石に座って
「ここが『はじまり』だったよね」
とサチは笑う。
「そうそう。タケシがマキをしつこく挑発して(笑)」
靴をぬいでパシャパシャと水を蹴るサチを見てたらまたムラムラしてきた。
「サチ、もう一度・・・。あ、コンドームないや」
「いいよ。来て。多分大丈夫。私も『おかわり』って思ってたから(笑)」

終業式が終わって担任が僕を教壇に立たせ
「○○君は今日を最後で転校します」
と言った。
それからの記憶は曖昧だ。先生や他の生徒の前でタケシと掴み合いの喧嘩になり
『お前とは絶交だ!!』
と言われたのとサチの泣き顔だけは覚えている。

その三日後。誰にも『さよなら』を言う事なく僕は村を離れた。

時を経て僕は40代になった。
そして『緩和ケア病棟』のベッドの上だ。
父の言う通りに『いい大学いい就職』を果たしたらこの歳で『余命三ヶ月の末期がん患者』だ(笑)
父も母もがんで早くに他界している。これも『運命』ってヤツとあきらめている。

無理を言って『あの村の近くで死にたい』と村まで車で30分ぐらいの総合病院に転院した。村はすで消えて、今居る市と合併してるが。
体力と時間が残っているうちにもう一度だけ村が見たいと担当医に頼んでるがなかなか許可が降りない。『一人では行かせられない。同行するスタッフが居ない』とか何とか。

ある日、担当医が
「○○さん、ラッキーですよ!!系列のクリニックに行ってた病棟の元エース

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