私の性的体験記(11)社会人‐小学校の運動会


前回:  私の性的体験記(10)社会人‐箱根の保養所

毎年9月の最終日曜日には娘が通っていた小学校の運動会があった。この日だけは大勢の父兄が駆け付け非常な賑わいである。当然トイレの利用者は多い。学校のことで当然のことながら男女別のトイレである。ところが1っか所だけ、これは普段はあまり使われていそうもない校舎の外れの位置にあるトイレであり、上履きに履き替える必要がない上に、男女兼用で、父兄に公開されていた。つまり誰にも怪しまれることなく出入りができる訳である。片側の壁に男性の小用の便器が幾つかあり、反対の窓側に和式の個室が4つ直列に並んでいた。北側とは言え、何れも窓に面していたので採光状態も申し分がなかった。早速前から2つ目の個室に尾籠(おこもり)と洒落るのが、毎年の習いであった。

ある年のこと、その日の最初のお客さんは、子どものお祖母ちゃんという感じの年配の女性で、全くの無警戒で大股開きで、生マンコと排尿をご披露してくれた。陰毛の白髪からかなり年配の女性であったが、使い込んだことによる黒ずみや形の崩れがなく、極めてお上品なマンコの持ち主であった。その後、待ちくたびれることもなく、次々と来るお客には事欠かず、お母様たちが立ち代わり、私のために(?)にマンコを見せにやって来る。確率良く3番目の個室を利用する人が多く、素人の中年女性、人妻のマンコが正に見放題であった。本当に良き時代であった。履物から、生マンコ排尿ショーを演じる「踊り子さん」が中年女性ということがわかり、顔までは確認できなかったが、マンコの持ち主を想像するのも楽しかった。

小学校のこと故、中には可愛らしいマンコや尻の穴を見せてくれる女の子もおり、大人のマンコ見に来ている私には物足りない場面もあったが、それは小休止の時間のようなものであった。高学年になると陰毛がまだ十分に生えていないにも拘わらず、大人の様に形の崩れたマンコを持つ子もおり、正に多様であった。

中には、着衣から明らかに同一人物と分かるお母さんが、最初3番目の個室で生マンコ放尿ショーを一度見せてくれた後、時間をおいて次に1番目の個室で脱糞ショーをご披露下さったというようなこともあった。このお母さんは2回目の時は、後ろから覗き見る私の前で、最初より腰を高く上げ、尻の穴とマンコが良く見える状態で放尿し、次に時間をかけて、尻の穴を膨らませ脱糞をご披露下さった。おまけにこれまたよく見えるパンティーのクロッチ部を黄色く汚している様子まで手に取るように分かり、生活感にあふれているというか、実に生々しかった。なぜ腰を高く上げて陰部を曝したのかはよく分からなかったが、ことによったら彼女もこのトイレの構造をよく理解していて、後ろから覗かれることを期待して、恥ずかしい姿を見て欲しく、陰部公開排泄ショーを演じていたのかも知れないとすら思えた。

何人かの素人の奥さんたちのマンコや尻の穴を間近に見て楽しんだ後、その時は突然にやって来た。新しい奥さん(中年と思われる女性)が後ろの個室に入ってきた。それは最初は私にしてみれば、私の目の前でパンティーを自から下して股を開き、丸出しにしたマンコを前側から見せながら排尿ショーを見せてくれるだけの一人の素人の奥さん、特別ヌードショーの踊り子さんに過ぎない筈であった。しかし、便器をまたぐ両足の姿・・・ストッキングと履物を見た時、私は興奮に舞い上がった。その新しく私にマンコ視姦をさせてくれることになる後ろの個室に入ってきた女性が、なんと母だと確信したからである。都心の官舎での7年間、更には箱根の保養所の努力、何れも水泡に帰してきた母の生マンコと排尿を前からの観察することが、偶然ながら実にあっけなく、実現する瞬間が来たのだった。母の脱糞を初めて覗き見してから16余年経過しており、やっと実現した母のマンコを間近から直に見る瞬間がきたのであった。

個室の仕切りの下にある隙間から手鏡を使って覗き込む私からは、はっきりとその全身像は見えないが、便器をまたいだ母はスカートをたくし上げ、パンストとパンティを摺り下す衣擦れの音をさせ、直ぐに腰を沈めて来た。、私の目の前で股を大きく開き、丸出しにした生マンコを今やはっきりと正面から見せてくれたのである。子どもの頃、入浴時に正面から見た母のマンコは陰毛に隠れて女の割れ目を見せることはなかったが、今は当時に比べて陰毛は若干薄くなり、はっきりと陰裂を見せてくれていた。ご披露頂いた母のマンコは洋子のような小陰唇のはみ出しもなく、陰毛が残ってはいたが、まるで少女のようなマンコで、とても綺麗な陰裂であり、とても66歳とは思えない若々しく上品なマンコであった。迸る小水、私はすっかり見入ってしまった。惜しむらくはこの時母は脱糞はしてくれなかった・・・してくれていれば、もっとゆっくりと時間をかけてマンコ見が出来たのにとは思うが・・・それでも十分過ぎる一時であった。

余談ながら、 晩年母が介護状態になった時に、母のマンコを間近で垣間見る機会が何回か訪れた。オムツをしていた母のオムツ交換の折に近くから目にしたものである。この頃には、歳とともに薄くなった母の陰毛は、既にパイパン状態で脚を閉じていても、陰裂をはっきり見せ、それは色素の著色もなく少女のようなマンコであった。

眠りが浅く昔から睡眠薬を常用していた母であったので、今になっては叶わぬことながら、実は熟睡時にチャンスがあれば、母に対してやってみたかったことが幾つかあった。
それは下着を脱がせて;
• 割れ目を開いて長年一緒に暮らした母の膣口や尿道口を直に観察し、合わせてマンコ丸出しの姿やマンコを開いて中を撮影すること。
• 自分の指を母の膣内に挿入して、その感触を指先で確かめること。
• 母のマンコを存分に舐めあげ、陰核を剥いて撫でたり舐めたり、更には膣口に舌を挿入してその味をみること。
• 自分のチンポを生でマンコに嵌めて、時間をかけて抽挿して自分のチンポで母のマンコの感触を味見をすること。
等々、妄想は次々と広まった。母が昏睡るようなことがあり、夜中に一人で付き添っていれば、それを実行してしまったかも知れない・・・現実には母はあっけなく他界してしまって、この妄想を実行する機会はなかったが、もしその様な状況があったならば、私はこれらを実行に移し、母を犯していたことであろう。…続く。

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