私の性的体験記(7)社会人‐筆おろし


大学を卒業して、私は外資系の会社の技術職に就職し、都心から隣接県にある工場に通い始めた。同期の人間は私を含めて13名。大卒の男子4名、短大卒の女性1名。高卒男子5名(うち一人は中途採用であったが入社時期が同じで、年齢も近かったので同期扱いであった)、高卒の女子3名であった。

社会人となって2年目の6月に、所属していた部の慰安旅行があり、長野の明治湯温泉という鄙びた温泉宿に行くことになった。私と同期の大卒、岸君、そして短大卒の太田さんが幹事をすることになった。幹事と言えば聞こえが良いが、要は雑用係りである。部に女の子が少ないこともあり、女性のみ部外者にも声掛けし、数名がゲスト参加した。

今はどうだか分からないが、40年以上も昔、当時は山の中の渓流の傍に一軒ぽつんと建った温泉宿で、南アルプス?の登山者が利用する様な宿であった。風呂も当時は旅館の外観同様、鄙びた感じに溢れ、銭湯にも似て、男湯と女湯は高さ2m半ほどの壁で仕切られ、その上は天井まで大きく開いていた。不思議なことに湯船につかるとその壁に50㎝X50cmほどの窓のような穴が開いており女湯がそこから丸見えであった。旅館にたどり着き、宴会前にひと風呂をということで、一斉に風呂に向かった。風呂に入って湯船に浸かっていると、話し声がして、女性陣も入ってきた。目ざとくその穴を見つけた女性陣は、素早くその穴の上にタオルを垂らして穴を塞いだ。すると男性陣もしたたかで、桶に湯を汲み、一気にそのタオルにぶっ掛けた奴がいた。タオルがすっ飛び、女湯から悲鳴が上がる。大らかな遊びであった。中にはもっとしたたかな奴がいた。村上氏というその先輩は、女性がその穴に注目しているうちに、黙々と桶を積み上げ、それに登って、仕切り壁の上から一人女湯を覗き込んでいた。そこにいた女性は、下の穴にい注意が向いていたためか誰一人気付かず、すっかりその場にいた女性全員が、知らぬ間に彼に全裸姿を見られてしまうことになった。

宴会、2次会と、幹事としての仕事を済ませると、私は一人浴場へ向かった。シ~ンとして、誰もいない。女湯からの物音もしなかった。ゆっくり湯につかり、そういえばさっきは十分に女湯を見ることが出来なかったと思い、件の窓用の穴から女湯を覗いてみた。驚いたことに洗い場に女性が一人いた。池田さんという製造部の事務員であった。どうも酒を飲み過ぎて、洗い場で転寝している様子であった。色白の女性であったが、思いの外、貧乳であることが見て取れた。残念ながらマンコの様子は良く見えない。位置を変えようと思い、先ほど村上先輩がしていたように桶を積み上げてその上に乗り、上から女湯を見下ろした。今度は陰毛が見えたが、ヘアヌード宜しく、マンコの詳細までは良く見えない。

と、突然女湯の脱衣所の戸が開き、女性が一人新たに入ってきた。一緒に幹事をした太田さんであった。太田さんは池田さんに気付き、そちらに注意を集中したせいか、上から覗いている私には気付かなかった。タオルで前を隠しながら入って来たのでこちらから太田さんの裸体は良く見えなかったが、池田さんを起こして抱えながら脱衣場に向かう時には、胸や生尻を見ることが出来た。

さて、この社内旅行の後、時々太田さんとは飲みに行く仲となった。太田さんは名前を洋子といい、岩手県の花巻郊外の農家の娘であった。盛岡の短大へ進学した。短大は共学であったが、所属した食物栄養科は2学年合わせて女子117名、男子16名という女子短大に近い構成であった。当時男性との交際経験ないしは性交経験があったかはよく知らない。卒業と同時に首都圏へ出てきて就職したわけであるが、住まいは会社が斡旋した豆腐屋の2階で、入り口が独立した階段を上がると8畳ほどの倉庫然とした空間があり、その奥にもう一つ鍵のかかる扉があってその奥に居室があった。もともとは豆腐屋の住み込み従業員用に誂えた部屋の様であった。和室の8畳間と6畳ほどのダイニングキッチン、所謂1DKであった。アパートではなく借家人は彼女一人であった。

その年の7月20日過ぎに連れだって夕食を外食し、アルコールが入った勢いもあって、街中の公園で、彼女にキスをしてしまった。そして、そのままの豆腐屋の2階に転がり込み自然の成り行きとして性交に至った。遅まきながら私にとっては筆下ろしであった。

夏ということもあり、ワンピースの前止めのボタンを全て外し、前を広げると白のブラジャーとパンティーのみで、胸はBカップであった。ブラジャーを外し、オッパイを吸いながら日活ロマンポルノで見た通りに乳房を揉みしだいた。その後彼女のパンティーを脱がし、自分も全裸になった。かねてより見たかった大人の女性のマンコがじっくりと見れると、私は興奮のあまり勃起したチンポの先から先走りの汁を垂らしつつ
「マンコを見せて欲しい。」
と頼み込み、洋子の承諾の下、暫し同女の陰部を間近に観察した。先ず見えたのは陰毛とその下に続く陰裂。大陰唇の間から、はみ出す一対の小陰唇であった。昔見た三枝子ちゃんおマンコとは違い、明らかに大人のマンコであった。後日、聞いたところによると、彼女の自宅は花巻から釜石線で4駅、そこから更に車で20分程という山の中にあり、花巻の高校に進学した際には通学が大変だという理由から、花巻市内の祖母の家に同居したそうだ。祖母は町中の比較的大きな戸建ての家に一人で住んでいた。その一部の部屋を間貸ししており、洋子の隣の部屋に若い女性が住んでいったという。その借家人が時折、男を連れ込み、性交するのを壁越しに聞くことになり、性行為に興味を持ち、洋子は日夜自慰行為に耽るようになった。そのため、洋子の小陰唇は盛んに擦られたために肥大し、左右のバランスも崩れたもようであった。ともかく、指で陰裂を開き、思うに任せて中間でじっくりと観察させてもらった。

いよいよ「嵌め込み式」と小学生の頃呼んでいった瞬間に至り、私は自分の男根を正常位で洋子のマンコに挿入しようと試みた。しかし、洋子の膣口は後ろ付きの傾向があり、最初は上手くいかなかった。洋子が
「もっと下」と
声掛けをしてくれたので、やっと洋子のマンコに私は深々と男根を突き刺した。実際に性器を挿入してみると、それ自体には特別の感慨は生まれなかった。洋子は両脚をピーンと突っ張り足首を少し浮かせる状態で私のチンポを受け入れた。破瓜をした様子はなく、性交による出血はなかった。

私は少し混乱した。洋子は果たして処女だったのか?肯定的な側面としは、既に洋子は生理用品としてタンポンを常用しており、タンポンの使用によって既に処女膜を自分で破ってしまった可能性があること(生理時に初使用した時には破瓜があったとしても、自分では処女膜が破れたことによる出血なのか、生理の出血なのか分からなかった可能性がある。)。また、この晩私の勃起した男性器を見て、
「こんなに大きいのが入るの?」と
思わず驚きの声を上げたこと。即ち勃起した男根を初めてみた様子であったこと(但し、これは演技だったかもしれない)。更には後日「あのあくる日は、何時までもマンコにチンポが入っている残存感が長く続いた」と述べたことなどが挙げられる。
一方否定的な面としては、まず、破瓜出血や痛みを全く訴えなかったという事実。最初に嵌めるとき位置を細かく指示できたこと(タンポンで慣れていたからかも知れない。)などが挙げられる。また後日、聞き出したところ子どもの頃、隣家に住む従兄の和ちゃん(私と同い年であった…既に物故者)と5歳年上の姉と3人で 、よく性器を見せ合う遊びをしたという。姉の律子は和ちゃんのチンポを弄るのが好きだったが、自分のマンコを見せることはあまりなく、和ちゃんがチンポを見せて弄られる見返りとして、洋子のパンツを脱がし、洋子のマンコや尻の穴を見させていたそうだ。ことによったら性交の真似事位はさせていたかも知れない。

ともあれ、性器を生嵌めした私はゆっくり抽挿を始めた。興奮し過ぎたせいか、なかなか射精には至らなかったが、そのため時間を掛けて洋子のマンコの味をチンポで直に心行くまで楽しむことが出来た。やがて射精に至り、洋子の体内に男汁をたっぷりと流し込んだ。2回目の性交が終わった後、後背位で味わいたくなり、洋子に四つ這いになるように言った。直ぐに洋子は四つ這いになり、肘付をしてお尻を私の方に向けた。尻の割れ目は大きく開かれ、驚いたことに手で尻たぼを開かなくても洋子の肛門が目の前にはっきりと開示された。この日まで明治湯で裸を「ちら見」しただけの、身近な大人の女性が生尻を向け、丸出しにした肛門とその下に続く女の陰裂を自分から進んで見せてくれたのである。洋子は実に綺麗な肛門をしており肛門美人という言葉があるのであれば、それは正に言いえて妙であった。自分の意志を持って、私に見せてくれている女性の陰部を後ろからまじまじと見ることは、三枝子ちゃん性器を見て以来のことであり、しかも今回は顔見知りの大人の女性である。私はまず洋子の陰裂を開き肛門とマンコの中を別角度からじっくり観察した。

その後、徐に男根を挿入し抽挿を始めた。目の前に洋子の肛門を見ながらの抽挿は、洋子の丸出しの肛門を見下ろし、しかも自分のチンポがマンコに出し入れする状態を目の当たりにすることになった。それは正に洋子が犯される姿そのもので、私は征服感に満たされ喜悦の極みであった。再び思い切り洋子の体内にたっぷり射精した。後ろから2回、合わせて4回目の射精を終え、酒が入っていたこともあり、私は眠けに誘われた。洋子も同じで二人とも全裸のまま一緒に布団にくるまり眠りについた。暫しまどろみながら、時折思い出したように性交を繰り返し、あくる朝の7時頃迄の間に、更に3回、次ごう一晩で7回私は洋子のマンコに射精を繰り返した。洋子が処女であったかどうかはともかく今や完全に洋子は私の物であった。お互いに十分に性欲処理ができる相手となった。

以後洋子とは、毎週水曜日と土曜日と日を決め、夕食を共にし、その後必ずで性交を繰り返した。自宅に彼女を招いた折には、両親が階下にいたにも拘らず、私がトイレに行って自室に戻ってみる、私のベッドの中で洋子が全裸で待っていて性交を求められたりもした。生の感触が好きで、コンドームを用いず性交を繰り返した結果、やがて妊娠するに至り、未婚であったために、母の掛かりつけの医院に連れて行き、そこで堕胎するといった事故もあった。まだ未熟であった。…続く。

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続き:  私の性的体験記(8)社会人‐花巻温泉事件

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