私の性的体験記(6)大学生の頃


前回:  私の性的体験記(5)高校生~大学生の頃

話は少し戻るが、それは、新たに見つけた「大人のマンコを見て楽しめるスポット」のトイレの吐き出し口の前で、マンコを見せに来る立ち拭きのお姉さんを待っていた、ある晩のことであった。時間は22時を回っていた時分であった。表通りから、こつこつと足音が近づいてくるのが聞こえた。明らかに女性のハイヒールの音の様であった。その音は確実に近づいてくる。私の住む官舎には思い当たる女性は住んでいないので、私が待ち構える建屋の住人ではないかと思えた。その思いはやがて確信へと変わった。
「これは、帰宅したらすぐトイレに来るかも知れない!」
勝手な期待感が沸いた。・・・が、その思いは現実になった。足音は路地から曲がり建屋の玄関へ向かった。扉が開閉する音が聞こえ、そのまま足音はトイレに直行であった。直ぐにトイレの明かりが点き、吐き出し口から覗く私の目の前にこれからマンコをご披露してくれることになる女性の足元が現れ、便器を跨いだ。そのフクロハギを視て、その女性が何時もの立ち拭きのお姉さんに比べふくよかであることに気付いた。私好みのぽっちゃりタイプの身体つきをした、別人であることを知った。

直ぐに目の前に、このお姉さんの生マンコが下りてきた。これまたふっくらとしたマンコは立ち拭きのお姉さんよりは若干毛深い様子であり、大陰唇の後ろの部分が僅かに開き、そこから小さな肉片が若干はみ出していた。後に結婚した女性のマンコを熟視した折、それが膣口周りの言ってみれば処女膜の痕跡の様なものであることを知るが、その時は、そんなことは知る由もなかった。すごい勢いで排尿が始まった。このお姉さんは顔も思い当たらなかったが、ともかく見ごたえがあった。尿の一部はたくるような感じで臀部へと伝い下に落ちた。はは~ん、昔美明君が言っていたのはこのような様子だなと思い当たった。と、膣口と思しき辺りから鼻汁を思わせる様な白っぽい粘稠な汁が、つーと垂れてきた。その時には、それが女性固有の下り物とは知らなかた(母はトイレで見る限り下り物を垂れることはなかった)ので、このお姉さんが外出先で誰かと性交をし、その男汁が今頃になって、垂れてきたのかも知れないと思った。

やがて排尿を終えると、そのままの姿勢で、お姉さんはトイレっトペーパーで丁寧に自分の陰部を拭き上げた。下り物も綺麗に拭き取られたが、臀部に伝わった尿には気付かないのか、そのまま立ち上がり、白い下着をたくし上げた。今思えばパンティーのクロッチ部は下り物でたっぷり汚していたに違いないし下着も固有の臭いを放っていたことであろう。それは立ち拭きのお姉さんとは違い、正に大人の女性のマンコを身近で見たという実感がわく光景であった。

大学3年の2月のある晩、それは「草木も眠る丑三つ時」~午前2時頃であった。急激に激しい腹痛に襲われた。間欠的に襲ってくる痛みに七転八倒し、両親を起こし救急車を呼んでもらった。臍の少し上を襲う痛みから、不摂生が祟り、例えば胃穿孔の様な、何らかのとんでもない異常を胃に発症したに違いないと思えた。3時頃担ぎ込まれた病院で、診察に当たった医師は、急性の虫垂炎と診断した。それまで、虫垂炎の症状は何回か経験しておりそのたびに薬で散らしてきた経験から、「この痛みは違う。第一場所が全然違うではないか。虫垂炎じゃないぞ。この薮医者め。」と内心思ったが、とりあえず打った痛み止めの注射のお陰で、痛みは静まった。その日の午後手術をするということになり、病室に移された。正直「勝手にしやがれ。」という気分になり、10時頃まで微睡んだ。

それまで、虫垂炎の手術を受けた何人かの友人たちは、「手術前にあそこの毛を剃られた」とか「麻酔から覚めたら知らないうちに褌を締められていた」などと言っていたので、それなりの覚悟ををしていた。ところが毛を剃られることもなく、ブリーフ姿のまま手術室に搬入され、下半身だけの麻酔で手術が進行したので、意識はそのままあった。痛みは全くなく、まるで爪でも切っているような感じであった。手術は20分程で終了し切除した虫垂を見せられた。色合いと言い、大きさと言い、丁度片腹だけ取ったタラコのような感じであった。本当に虫垂んだったとその時初めて悟った。

その病院には6泊入院した。3人部屋に私一人であった。2日目からは一人でトイレに行った。男女共用で男性の小便器が2機、個室が2つ。一つは洋式、他方は洋式トイレに対して横向きとなった和式であった。和式の方は列車のトイレ式で1段高くなっていたが、驚いたことに、その境の壁はその高い床に揃えられており、低い方はぽっかり穴が開いた状態で、人一人通ろうと思えば容易に通れるような感じであった。要は洋式便器に座り、身を前に屈めれば、簡単に隣の個室が斜め後ろから覗ける構造であった。早速見舞に来た母親の生尻を覗いてみた。これはいけた。無理すれば斜め前からも覗けそうであったが、手術後で未だ抜糸していない身体では、怖くて無理な姿勢はとれず、それは諦めた。

3日目、30代の男性が同様に虫垂炎の手術を受け同室に入院してきた。彼の奥さんは感じの良い美形であった。彼女が見舞に来て暫く時間が経過したところで、私はトイレに出向き洋式便器に腰かけ待ち伏せするようになった。計画通り、何回か私は奥さんの丸出しの生尻、ケツの穴、排尿姿を拝ませて頂いた。

半年ほどして、中田家の止子小母さんが、同様に虫垂炎にかかり、同じ病院で手術を受けることになった。私程急性ではなかったので、予約を取り入院となった。小母さんも陰毛を剃られるのではないかと心配になり、私にその辺りを聴いてきた。
「下着も穿いたままだし、毛も剃られることはない。」
と話すと安心したようだ。後日様子を聞くと
「毛は剃られなかったが、下着は脱がされた。」
と話していた。下着を汚さないようにという配慮であったと説明を受けたそうだが、女性患者なので医者の役得で、素人主婦の止子の下半身を素っ裸にし、マンコを合法的にじっくり見るためだったような気がした。下半身麻酔なので、例え女陰の割れ目を開かれて中まで見られたり、指を膣内に入れられても、止子には分からなかったに違いない。

4年生になり、理系学生であった私は卒業研究のため実験棟に通う毎日になった。早朝に登校する私には、未だ人が疎らな時間にこそできる楽しみがあった。女子トイレに忍び込み、数少ない同級生女子大生を覗くことでった。キャンパスが郊外にあったためか、登校してすぐにトイレへ向かう女子が多いので、狙い目であった。一人目の相手は、久保田恵子であった。隣県から新幹線通学をする彼女は若い頃の由紀さおり似であり、仲の良かった学友2人の憧れの的でであった。その彼女がトイレに向かった後姿を見て、見逃す手はなかった。あとを追って女子トイレに入り込み、後ろの個室から仕切りの下の隙間を介して覗き込んだ。和式便器を跨いで立った彼女であったが、期待した臀部は目の前に降りてこない。不思議に思っていると、やおら下痢便が目の前に落ちてきた。仕切りに顔を近づけ見上げると、中腰状態で下痢便を垂れている姿が見えた。お陰で排便を続ける尻の穴も、若いマンコの陰裂も丸見えであった。学友二人を差し置いて、久保田恵子の陰部をすかっり鑑賞した。

二人目は、名前を忘れたが、渾名を山桜といった。出っ歯の彼女は美人の部類には入らない。花より葉が先…鼻より歯が先…というのが山桜という渾名の由来であった。御面相はともかく女は女、彼女の陰部に関心を持つのは別の話であった。彼女はきれいな尻の穴の持ち主で、私は勝手に心の内で肛門美人と呼んでいた。同じ学科には13人の女学生が居たが、幾つかの研究棟に分かれていたため、楽しめたのはこの二人だけであったが、特に山桜の生尻と排尿は繰り返し、拝ませてもらった。…続く。

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