性に対しておおらか、何故なら共有財産だったから


松明に火をつけて片道11kmも草鞋履きで夜這いに出かけた先輩達の必死の努力に頭が下がります。
行事というのは特別な、民俗学でハレの日の催しでしょう。
米が豊作でも不作でも関係なく、性欲に「ハレの日」も「クモリの日」もないと思いますが。
評判の娘の恥毛には毛じらみがいっぱいだとか、村の青年が噂し合ってるのを聞いた事があります。
それなら俺も確かめに行こう、という連鎖反応が起きます。
生きてる喜びがそれしかない時代は、例外なく性に対して「前向きです」。
でも、男前にぶす女、ぶ男に美人女の組合わせは今でも多いですから、男女の合体は以外と公平なのかもしれません。
     
     
古代日本は、原始共産主義的な発想があったんでしょ?
集落のものは全て共有財産といった感覚で、その中には人間も含まれてた。
だから特定の家族というような発想は薄く、子供も大人もそれぞれがお互いに共有財産といった感覚だったんでしょ?
性に対しても非常におおらか。
だって特定の相手としか性交渉を持ってはいけないという発想自体がないんだもん。
子供が生まれたら集落みんなで育てるから親が誰であろうがほとんど関係ない。
人間と動物の違いは、任意に勝手気まままに「催す」のに、後者は定期的な「盛り」があります。
例外は猿の自慰行為だそうです。
だから日常茶飯事ではないか。

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