明治時代までは性に関してオープンで誰とでも(兄弟・従姉妹でも)やりまくってたって本当ですか?


    
 万葉集には,筑波山で年に1度行われるフリーセックス大会「歌垣」についての長歌があります。内容は,「今日は俺もよその妻とやりまくるぞ,よその男も俺の妻とやりまくっていいのだ」というあけすけなものです。
     
 古事記には,皇太子軽皇子が同父同母の妹衣通姫と道ならぬ恋に落ちた記述がありますが,どう見ても実の妹とやった変態としてではなく,悲恋に殉じた貴公子として描かれています。どうも日本は,近親姦に関するタブーが非常にゆるいようです。
     
 光源氏だって,冷静に考えればマザコンの上にロリコンで,幼女誘拐歴もある犯罪者予備軍です。
 鎌倉時代には,共を連れずに道を歩いている女性は男を誘っているとみなされ,誰でも一発やろうぜと誘っていいことになっており,これが「女捕り(めとり)」と呼ばれて,今日の「娶る」という言葉の源となっています。
     
 戦国時代に日本を訪れた宣教師ルイスフロイスは,本国あての手紙で「日本人は処女をありがたがる発想をもっていない」,「女性の離婚は恥ずべきことではなく,再婚も容易である」ことなどを述べています。
     
 戦国時代~江戸初期にかけては,美少年のカマを掘る「衆道」は武将のたしなみでした。伊達政宗もホモだちに浮気を疑われ,潔白を申し立てる血書を書いています。
 三代将軍家光も衆道にご執心でした。庶民の世界でも,歌舞伎は最初のころは若い女の裸踊りでした。
 江戸幕府がこれを禁止したところ,今度は美少年の裸踊り(若衆歌舞伎)が流行ったので,おっさん以外出演させないことにした(野郎歌舞伎)のです。つまり,庶民の間でもホモは日常的なことでした。
     
 要するにロリコン,近親相姦,ホモセクシュアル,何でもやりたい放題というのが日本の伝統だったわけです。
     
 江戸時代は未婚の娘,未亡人,果ては人妻の寝床に忍び込む「夜這い」が日常的に行われていました。また,当時の川柳・春画では,長屋で毎朝やりまくっている若夫婦をのぞくことが皆様の娯楽だった様子もうかがえます。
     
 ちなみに,戦国武将は戦に行く前,鎧甲冑をすべてつけた状態で奥さんと一発やるのが通例だったようです。これは単にやりたいからではなく,女性のもつ霊的な力(いわゆる「妹の力」)を取り込んで,戦場での安全を祈願する行為だったといわれています。
     
 なお,夫のある女性とやる不義密通は建前上重罪でしたが,実は7両2分で示談という通例があり,川柳にも「据えられて七両二分の膳を食い」と読まれています。
     
 風呂も混浴で,当然,若い男女のやりまくりの場になっていたようです。江戸末期に日本に来た外国人は,風呂に入っていたら当然のように若い女性が入ってきて度肝を抜かれたと記述しています。
     
        
 日本史上、現代ほど童貞の多い時代は無いんじゃないだろうか?
        

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