実はエロい 古代のエッチ満載の 万葉集は性におおらか 3


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歌で使われている言葉で「恋」は「Hをする」、
「紐解く」は「体を重ねる」または端直に「挿入する」と読み替えて、理解して下さい。
       
そうした時、万葉集の歌が実に「性におおらかである」と云う意味が判ると思います。
       
また、ここで「Hをする」と云う言葉を使いましたが、
これもある種の現代語での「性交渉」、「愛撫」、「性戯」や
「挿入」などの一連の行為を示す隠語です。
       
       
今回は、おおらかな性について話を進めています。
そこで飛鳥・奈良時代の貴族階級の性について少し、雑談をしたいと思います。
       
不思議なのですが性について書かれた中国の古い時代の書籍のほとんどは中国には残っていません。
現代に残る唐時代中期以前の性に関わる書籍の多くは日本にだけ残されています。
そのため、中国古典医学の研究は日本が中心であると云う面白い状況があります。
その書物の渡来が遣唐使が主な輸入ルートだったとしますと、遣唐使の人々が大真面目で性に関わる書物を掻き集めて日本へと命がけで持ち帰ったことになります。
逆に見ますと、遣唐使の人々がそのような書物を持ち帰るだけの需要や要求があったと云うことになります。
そこに奈良時代の貴族たちの趣味が透けて見えると思います。
       
もう少し説明しますと、当時、性交をすることは立派な医療行為でもありました。
医学書では中年以上の男には若い女性の愛液が滋養や保養の薬とされ、一方、中年以上の女性には若い男の精が保養や美貌の薬とされました。
そして、医学書の玉房秘訣に載る房中術と云う処方では若い女性の愛液を得るために男は五徴十動を学ぶ必要があると説かれています。
この五徴十動の教えを現代の言葉に置き換え説明すれば、それは女性への性愛の方法とその反応の観察法です。
中国医学では俗に云う女性が「イク」という状態で溢れ出る愛液が最良の薬とされていましたから、女性が「イク」と云う状態であることを確かめるため、性行為を五段階で表し、女性が示す体の動きの意味を十の動作に区分してそれをしっかり観察することを勧めています。
このような書物としては他にも素女経や洞玄子などがあります。
なお、洞玄子に詳しい、その薬の摂取方法はここでは紹介しませんのでインターネットで検索をお願いいたします。
ただし、原文は手強いです。
       
万葉の時代とは、一方で、貴族階級の男女が大真面目でこのような性戯の指導書を読み、実践していた時代であると云うことを知っていて下さい。
また、添伏の風習から男性貴族は若い時から実技指導でこのような五徴十動の法を教え込まれていたと思われます。
このような背景を知ると万葉集の歌の鑑賞の時、ある種、別な大人の鑑賞を楽しめるのではないでしょうか。
個人の感想で、万葉集や源氏物語の鑑賞法を教える大人への教養講座や大学での授業で、なぜ、このような重要な基礎情報を示さないのか、それを不思議に感じています。
       
ここで、集歌3532の歌を見てください。
     
私訳は標準的な解釈の方を採用しています。
ただし、万葉の時代、人々は鳥の「カッコウ」の鳴き声を「カツコヒ=片恋」と聞き、「カァーカァー」の声を「コロク=子ろ来(く)=恋人がやって来た」と聞きました。
また、秋の夜、鹿が「ケーン」と啼く声に雄鹿の妻問いを想像しました。
しかし、この歌には鳴き声はありません。
歌はただ、馬が長い舌をはっきりと伸ばし、もぐもぐと口を動かす動作を示すだけです。
その馬が一生懸命に舌を伸ばし口を動かす動作で、なぜか男は故郷に残して来た妻を思い出しました。
当然、馬は懸命に草を食んでいますから鳴き声を上げたとは思えません。
現代に情景を置き換えた時、夜を共にする関係の女性が夜の食事の時、思わせぶりにフランクフルトソーセージを縦にしゃぶる姿を相手の男に見せたとしたら、貴女はどのような心理をその女性に想像しますか。
そのような解釈の可能性のある歌です。
その時、歌は三句切れとなります。
       
       
集歌3532 波流能野尓 久佐波牟古麻能 久知夜麻受 安乎思努布良武 伊敝乃兒呂波母
       
訓読 春の野に草食(は)む駒の口やまず吾(あ)を偲(しの)ふらむ家の子ろはも
       
私訳 春の野で草の新芽を食べる駒が常に口をもぐもぐと動かし止めることがない。
(その駒のようにいつも口を動かし=しゃべっていたお前よ、)私を恋しく思っているでしょう、家に残した愛しい貴女よ。
       
注意 教室で鑑賞しない場合は、歌は妻が口で夫を楽しむ、と鑑賞します。
       
       
集歌3532の歌は想像力を目一杯に広げましたが、次の集歌2925の歌は直線的です。
ただし、この歌は何かの宴会で詠われたものと思われますから、この歌から直ちにおっぱいを口で愛撫していることにはなりません。
ですが、宴会のバレ歌として詠われるテーマですから、当時の男女でもこれが標準的な愛撫の一つだったと思われます。
想像でこの歌を詠った女性は当時の美人の基準の一つでもあった「胸別け広き」と称されるような胸の豊かな女性だったと思われます。
ですから、宮中であっても言い寄る男たちは多かったのではないでしょうか。
       
       
集歌2925 緑兒之 為社乳母者 求云 乳飲哉君之 於毛求覧
       
訓読 緑児(みどりこ)し為こそ乳母(おも)は求むと云ふ乳(ち)飲めや君し乳母(おも)求むらむ
       
私訳 「緑児の為にこそ、乳母は探し求められる」と云います。
でも、さあ、私の乳房をしゃぶりなさい。
愛しい貴方が乳母(乳房)を求めていらっしゃる。
       
       
さて、万葉時代、男も女も特定のパートナーだけとセックスをしたのではありません。
妻問いと云うゆるい婚姻の風習では男女ともに複数のセックスパートナーを持つことになります。
その風習を前提とする歌が次の集歌3486の歌です。
隣に住む男と今夜に夜這った男の、どちらがHが上手だったでしょうか。
今夜に夜這った男は、いろいろなことをして「おれの方がいいだろう」と聞いているような、そのような雰囲気の歌です。
       
       
集歌3486 可奈思伊毛乎 由豆加奈倍麻伎 母許呂乎乃 許登等思伊波婆 伊夜可多麻斯尓
       
訓読 愛(かな)し妹を弓束(ゆづか)並(な)へ巻き如己男(もころを)の事(こと)とし云はばいや扁(かた)益(ま)しに
       
私訳 かわいいお前を、弓束に藤蔓をしっかり巻くように抱きしめるが、それが隣の男と同じようだと云うなら、もっと強く抱いてやる。
       
       
集歌3486の歌が色々と試したHの感想を男から女に聞く歌としますと、次の集歌2949の歌は女性の方から男性の方にマンネリではないHを求めています。
集歌3465の歌は東国の歌ですから集歌2949の歌の応歌とはなりませんが、雰囲気的はこの答えの方が男女、喧嘩にならなくて良いと思います。
復習ではありませんが、当時の医学書では二十数種類の体位がその方法と共に推薦されていました。
ところで、その「いつもとは違うやり方」とはどのようなHだったのでしょうか。
色々と想像させてくれます。
       
       
集歌2949 得田價異 心欝悒 事計 吉為吾兄子 相有時谷
       
訓読 うたて異(け)に心いぶせし事(こと)計(はか)りよくせ吾が背子逢へる時だに
       
私訳 どうしたのでしょう、今日は、なぜか一向に気持ちが高ぶりません。
何か、いつもとは違うやり方を工夫してください。
ねえ、貴方。
こうして二人が抱き合っているのだから。
       
       
集歌3465 巨麻尓思吉 比毛登伎佐氣弖 奴流我倍尓 安杼世呂登可母 安夜尓可奈之伎
       
訓読 高麗錦(こまにしき)紐解き放(さ)けて寝(ぬ)るが上(へ)に何(あ)ど為(せ)ろとかもあやに愛(かな)しき
       
私訳 高麗錦の紐を解き放って、お前と寝る。
それ以上に、お前は何をしろと云うのか。
とても、かわいいお前よ。
       
       
       
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