昔は海外でも日本でも、婚前交渉は誰とでも自由に、らしかった


タイ映画「山の民」と万葉人
1979年ウィチット・クナーウッ監督作品。
タイの北部、ビルマと国境を接する山岳地域には、多様な山岳民族が居住している。
      
この映画は、それらの部族のひとつ、イコー族の村長の息子として生まれたアーヨが、その文化・風習の故に数奇な運命をたどる物語。
主人公のイコー族の青年アーヨが食用の犬を買って戻ってきたところからお話は始まる。
      
少女がいう、
「あなたの子ができたわ」
「えっ!俺の子?だってお前YやKとも寝たろ?」
「そうよ、でも間違いなくあなたの子の」
「そうか、じゃあ親父にいって結婚しよう」
      
婚前交渉は自由な風習ならではの会話。
     
      
       
8世紀の日本文学、万葉集には夜這いという「妻問婚」の風習が色濃く残っている。「かがいの歌垣」という、この日は未婚者も既婚者も誰とでも交わる祭りを讃える歌も残っている。たとえば 万葉集にはこんな歌がある。
      
「さ寝がには 誰とも寝めど 沖つ藻の 靡きし君が 言待つ我を・・・寝る程度のことは誰とでもするけど、沖の藻が靡くように心が靡くあなたの言葉を待つ私よ」詠み人知らず(2782)
      
産屋を別に立てて、出産をすることや、鳥居が村の入り口にあること、精霊信仰など日本の古代習俗、信仰との、共通点がいっぱいで、日本文化のふるさとは大陸の山奥に残っていることに驚く。
      
「農耕民族は自由な性を楽しむ」というのは、『夜這いの性愛論』で赤松氏が書いていたけれど、まさにそう。
バリ島のウブドで暮らしたときも、古代日本との共通点をしばし感じた。
記紀万葉を通して、古代日本を知ると、世界の中のアジアを大きな眼で考えることが面白くなる。

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