たった一度の過ちが、、


もう10年前に話になってしまいます。

私は港の近くの診療所の看護師をしていて主人は食品会社の営業をしていました。

結婚5年目でまだ子供はいなく、もうそろそろ子作りに励もうかなと思っていたころでした。

診療所の先生は「早く子供を作らないと、真奈美さんももう30だろ。」と言ってからかうのです。

「先生、私はまだ29歳です。私が今妊娠したらこの診療所はどうなるんですか。先生は患者さんが困っていると夜中でも船に乗って島に行ってしまうし、あくる朝には患者さんが来るというのに、、」

「まあ、その時はその時だ。待てる患者は待って貰えばいい。待てない患者は他の病院へ行ってみて貰えばいい、それだけの話だ。」

この診療所の先生は59歳、腕はいいのですがお人好しなんです。

この前も港に近い島の患者がお腹が痛いと言って来て、夜中に船に乗って島に渡ったら二日前に作ったおかずが少し傷んでいて、軽い食中毒だったんです。

先生は「これで済んで良かった。まあ体を大切にな。」と言って帰ってきたんですが、その時に「ここは離島なんだから食べ物には気を付けないと。」と厳しく言ったらいいのにと思ってしまいます。

そんな先生だから奥さんもこんな不便なところに一緒に住もうと言ってくれないんです。

先生は内科専門なんですがこんな小さな町の診療所で、他に病院や診療所もないため歯科、眼科、事故の怪我のためなら軽い手術までやってしまうんです。

1年程前は虫垂炎の手術も、最近では屋根から落ちて足を骨折した患者の治したほどでこの付近の患者からは信用してもらっているんです。

そんな時に診療所の外国人がやってきました。

私は外国語が話せず困っていると「先生は何処?私アメリカで昔先生と一緒に働いて者の息子でジョンと言います。」と日本語で言うのです。

その日の夜は主人も出張で帰ってこられないと言うこともあって、私は診療所で夕ご飯の手料理を作っていました。

ジョンと先生と私はお酒も頂き大いに盛り上がっていました。

「もう、私外国語を話せないから焦っちゃったわ。」

「その時の真奈美さんの顔が見たかったな。」と先生も私をからかうのです。

ジョンの父親と先生は昔アメリカで一緒に仕事をしていたらしく、よく先生がジョンの家に行っていたので仲良くなったらしいのです。

ジョンは190もあスラリとした高青年る青年で実に日本語は上手なんです。

そして先生や父親と同じ医者だったのです。

あくる日からジョンも先生の仕事を手伝ってくれるようになり大変助かりました。

診療所へ来ていた患者さんも最初はびっくりしていましたが、日本語が堪能な事、アメリカ人特有のジョークがうまいこともあってすぐに溶け込んでいったのです。

でもそんな楽しい日々は長くは続かず、3か月が過ぎるとジョンがアメリカへ帰るときがやってきました。

帰る三日くらい前だったと思います。

その日はこれから来る台風で海がだんだん時化始めていていました。

運が悪く離島で急患がでてしまったのです。

先生は手が離せない患者がいてジョンが船を出していってくれることになったのです。

私も主人が出張で帰らないと言うこともあってジョンについて行く事にしました。

患者は注射をするとすぐに回復に向かいましたが時化のため船を出すことも出来ず本土へは帰れませんでした。

しかももっと運が悪い事にジョンが熱を出してしまったのです。

翌日になってもその翌日になってもジョンの熱は引かず台風の風と雨で船を出すこともできませんでした。

薬は患者のために使い果たしてしまい、私はジョンを安静に寝かせただ頭を冷やしてやることだけでした。

まだ秋なのにジョンは寒いと言い出し私は部屋を暖めてお布団をかけてあげるしかなかったのです。

それでも寒い言うと私はジョンを裸にし、私も裸になってジョンと同じお布団に入りジョンの体を私の体で温めてあげたのです。

そしていつしか眠ってしまったのです。

翌朝になりジョンの熱は下がったのですが、外は台風が過ぎていったというのにまだきつい風が吹いていました。

「真奈美さんありがとう。体を温めてくれたんですね。」

ジョンが目を覚ましてくれたことに私は安心しきっていました。

しかし現実的には、私はジョンと同じお布団に入って二人とも裸だったのです。

「ああ、、恥ずかしい。」と思った瞬間ジョンが私を抱き締めてくれたんです。

ジョンの股間の物がだんだん大きくなり私のお尻に当たってくるんです。

私は恥ずかしくなってジョンの反対側を向いて小さくなっていました。

するとジョンが「真奈美、愛している。」と言って抱き締めてくれたんです。

すぐに主人の顔が脳裏に浮かびましたがもうすぐアメリカに帰って行くジョンに私は身を任せてしまったのです。

ジョンにキスをされ愛撫をされジョンの大きな物を受け入れてしまった私は何度もいかされてしまいました。

病み上がりでもジョンの物は逞しく私の中を暴れまくるのです。

そして1度だけでま物足らず2度3度と私を天国へ連れて行ってくれるのです。

もちろん主人とは結婚5年目で毎晩とはいきませんが週に2回くらいは営みがありました。

しかし、ジョンがアメリカへ帰って2か月ほどしたときに妊娠していることが分かりました。

私はたった一度でジョンの子供を妊娠するはずがないと思い、主人の子供と思い込んで主人に妊娠したことを言ってしまったのです。

もちろん主人は大喜びしてくれました。

それだけでは物足らず主人の両親にも電話で行ってしまったのです。

それからは主人は私の重い物を持たせないように、家事も進んでしてくれるようになりました。

「もう、少しは運動しなければいけないんだから。」と言っても聞いてくれませんでした。

しかし、出産まであと1ヶ月になろうとしていた時、主人は事故で亡くなってしまったのです。

出産当日、主人の代わりに主人の両親が来てくれました。

そして私は両親に初孫を見せてあげたく出産に挑んでいったのです。

しかし、私のお腹から出てきた子供は誰の目から見ても主人の子供ではありませんでした。

日本人とアメリカ人のハーフだったのです。

主人の両親は私に何も言わずに帰って行きました。

私は今小さな離島で看護師をしています。

島民約70人程度で小学生は私の子供だけなんです。

アメリカ人のハーフと分かっても今の時期誰もが受け入れてくれ幸せに暮らしています。

もちろんあれ以来ジョンとも会っていません。

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