平安時代、今より自由に男女を謳歌


『源氏物語』をはじめとする平安文学を読むと、平安貴族は複数の女性に夜這いをかけたりのびのびと恋愛を謳歌していた様子が伺える。
      
■平安時代は今より自由?
      
先生は「平安時代の人の結婚制度は妻問婚という、男性が女性の家に通うものでした。性的な倫理観も現代とはかなり違います」と前置きしつつ教えてくれた。
      
「平安時代の医学書で『医心方』にある『房内編』では、中国の古典を引用してすでに有名な四十八手の原型となる三十九手が紹介されています。
そのうち2点は女性2人対男性1人の体位です。
また、平安後期の貴族藤原頼長が記した日記『台記』には『彼氏とやってよかった』なんて記述もあります。
『源氏物語』の作者として有名な紫式部の日記にも同性愛的な表現がありますから、現代の我々が考えるよりも性を自由に楽しんでいたのではないでしょうか」(先生)
      
藤原頼長や紫式部は実は同性愛者だったということだろうか。
      
「二人とも異性のパートナーと子どもを設けているので同性愛者というよりも、両性愛者と推測されます。
また当時同性愛という発想があったかどうか……。好きならば性別は問わないという自由な発想だったのでは?」(先生)
      
また、庶民の間でも歌垣という男女が自由に楽しむイベントや祭りの場で同様に楽しむ機会があったのではないかとのことだ。
      
想像以上に平安時代は性に関して自由だったようだ。
      

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