平安時代、十二単には帯が無いので即、裸に


昔の奈良や平安時代の貴族はどのような体位で行為を・・・・
    
十二単は帯が無いのではだけてしまえば裸です。
「セックス向き」のコスチュームといえます。
    
おおむね【貴族】は男女のセックスに対して貪欲で、様々な「研究」をしていたといいます。
男側にも「女性を喜ばせよう」という意識があったようなので、雰囲気作りや前戯や体位などにもさまざまな工夫をしていたのでしょう。
    
十二単という着物ですが、実際は着物そのものが重いのでせいぜい五・六重ぐらいでした。
そして重ね着しても一番上の着物で留めてあるだけ
(着る時に留めるが、重ねる時に下の帯を抜いてしまう。)
なので、一番上の帯をほどけば、ばらっと開いてそのまま布団代わりにもなったのです。
    
体位で正常位かバックぐらいは想像できますが、四八手までは・・・・・・・・?
四八手は江戸時代の考案のようですけれど、個人で好んで見つけてた人はいたのかも??
    
現国の先生から「大昔(奈良や平安時代)の貴族は12歳~13歳くらいの頃から子供を作り始めていた」というのを聞きました。
本当です。
日本に限らないですし、割と最近でもあります。
    
結婚自体が早いです。
10歳くらいはざらでしたし、6歳と3歳なんてのもありました。
もっとも実際の結婚はある程度になってからですが。
    
貴族は比較的栄養状態が良く早熟で体できるのは早かったと考えられています。
生殖能力も早く発達し「ませて」いたようです。
(クジラ等は食料豊富だと早く成熟するとわかっています)
現代でも性的交渉が低年齢化しており小学生から、というデータもあるため不思議ではないと。
    
貴族の日記等は有職故実の資料として保存されていましたがやはりそのなかには早婚、低年齢出産がありました。
    
夫が若いときには添い伏し(妻)は年上をあてがいバランスとったようです。

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