乳母(うば・めのと)の最大の仕事は性教育


    
乳母うば(めのと)
     
養君(養姫)に対して、生母に代わり、授乳、養育を行なう女性のこと。
     
「ちおも」、「にゅうも」、「まま」とも呼ばれた。
     
乳母は、養君(養姫)に対する授乳終了後は、養君(養姫)の食事をはじめ、
その生活全般に渡り世話をした。
     
古代、天皇家や豪族では、生まれた子に、 生母とは別に乳を与えて養育を専門に行なう女性を置いた。後宮職員令が制定されると、天皇家においては、親王には3人、二世王には2人、それぞれ乳母を給付することが決められた。
     
天皇家のみならず、有力公家や有力武家、各地の有力豪族も、乳母を置いた。
     
そして、乳母の最大の仕事は、養君(養姫)への性教育であった。
     
乳母自らが性教育の一環として相手を務めることも数多く、高倉天皇の乳母である藤原公重の娘は、高倉天皇との間に功子内親王を出産している等、養君と乳母との間に子供が生まれた例は珍しく無い。
     
養君同様に、養姫に対しても、性教育は行なわれ、夫となる男性を魅了し受け入れ喜ばせる術を伝授した。
     
これは、養姫に一人でも多くの子の出産させることで、養姫の生母一族の「外戚」としての繁栄を確実とするためであり、同時に乳母一族の繁栄も約束するものであった。
     
このように、乳母と養君(養姫)との関係は、単なる授乳、世話だけでは無く、性的な秘め事を含んだために、濃密で、生母との関係よりも深いものであった。
     
こうして、乳母の権威は絶大なものとなり、養君が後継者となると、女房衆や侍女たちを手足の如く使い、奥向きを差配した。
     
江戸時代の徳川幕府三代将軍徳川家光の乳母である春日局のように、幕府内において、女性としては空前絶後の権力を手に入れた者もいた。
     

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