夜這いしても「ええじゃないか」夫以外の男と寝ても「ええじゃないか」


タテマエとしての結婚家族制度は、明治国家成立以降、政権が租税・徴兵目的の戸籍制度整備のために、それを強要したのである。
     
農民をはじめ一般大衆にとっては、束縛の多い不自由な一夫一婦制など何の意味もなく、たとえ配偶者がいても、誰とでも寝るのが当然であり、生まれた子供は「みんなの子供」であって、集落全体(大家族)で慈しんで育てたのである。
         
このようにして、かつての日本では夜這いに見られるような自由な性風俗に満ちていた。
      
唯一の楽しみを奪われた明治時代の初めの庶民だが、おカミの言うことには逆らえず、憤懣やるかたなく「(夜這いしても夫以外の男と寝ても)ええじゃないか、ええじゃないか」と歌いながら踊り狂ったのかもしれない。
     
このようにして、かつての日本では夜這いに見られるような自由な性風俗に満ちていた。
       
「集落全体が大家族」という考え方で助け合い社会が成立していて、夫を失った後家は、若者たちの性教育係になり、
飲食店のオバサンも、徳山の若者たちから、そのように見られていたわけで、決して徳山の若衆が性的変態だったわけではない。
     
唯一の楽しみを奪われた明治時代の庶民は、お上の言うことには逆らえず、憤懣やるかたなく「(夜這いしても夫以外の男と寝ても)ええじゃないか、ええじゃないか」と歌い踊り狂ったのかもしれない。
     
夜這いについては現代では大変な誤解があり、
まるで村の女性が村の男に有無を言わさずレイプされてしまうよう言われてますが、
実際は当時の独身女性には貞操観念などなく、しかもセックスは最大の楽しみであり、
村の女性たちは「村の男が私を悦ばせにやってくる」と夜ワクワクして床についたそうです。
     
そういう楽しみを奪われた明治初めの庶民は憤懣やるかたなく「(夜這いしても夫以外の男と寝ても)ええじゃないか、ええじゃないか」と歌いながら踊り狂うしかなかったのかもしれない。
     
薩摩だったかの逸話に村の男が男色に耽り女性とのセックスをサボりだしたのに怒った女性たちが、
男たちが集まって男色している所に殴りこんで乱闘になったという逸話すらあります。
      
唯一の楽しみを奪われた庶民だが、お上の言うことには逆らえず「(夜這いしても夫以外の男と寝ても)ええじゃないか、ええじゃないか」とか歌いながら「『夜這いしても良い』と書いたおふだが舞い降りた」とか言って踊り狂ったのかもしれない。

良かったら「いいね」してください。誰でも「いいね」出来ます!


同じジャンルの体験談

トップページに戻る