昔の祭りは性開放の行事(研究でセックス奇祭を体験した若者)


■性開放の行事
     
祭りを性開放の行事とした名残りは各地にあり、例えば、静岡県庵原郡興津町(現、静岡市清水区・興津)の由井神社でも、夏祭の夜は参集する全ての女性と交歓して良い風習があった。
     
愛媛県上浮穴郡田渡村(現、小田町)の新田八幡宮は縁結びの神様で、毎年旧二月卯の日の祭礼の夜に、白い手拭をかぶって参詣する婦人は娘や人妻、未亡人の別なく「自由に交歓して良い」と言う事になっていた。
     
毎年六月五日に催され、奇祭として知られる京都・宇治の「県(あがた)祭り(暗闇祭り )」は、今でこそ暗闇で御輿を担ぐ程度であるが、昔は暗闇で相手構わず男女が情を通ずる為の場だった。
この「県祭り」は俗に「種貰い祭」とも言われ、祭礼で行き会った多くの男女が性交に及び、妊娠すれば「神から子種をさずけられた」とした祭りだった。
     
東で有名なのは、府中・大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)の「暗闇祭り」がある。この大国魂神社の暗闇祭り は基本的に厳粛な神事として巫女舞神楽が舞われ、宮堂に選ばれた男女が御夜籠りして神を迎えようとする「祭事」である。
     
信仰を集めるには楽しみが必要で、神事の行われる真夜中の一定時刻には社地はもとより氏子の集落一帯は全部燈火を消し、雨戸を開放しておかねばならぬに約束事になっていた。
     
この祭りが「夜這い祭り」とも呼ばれ、昔は一般の男女参拝客はその祭りの期間だけ「暗闇の中での情交(夜這い)が許される」とされていた。
     
暗闇祭りに於ける不特定多数の性交が可能だった背景には、それなりの庶民的な性規範の存在と同時に、開放的なノーパン着物文化が大きく貢献したのかも知れない。
何しろ手探りで着物を捲くりあげれば事足りるのだから、相手の顔が見えない暗闇の方が後腐れがない一時の神の恵みの歓喜なのだから。
     
■明治政府による禁令
     
性におおらかな風俗習慣は明治維新まで続き、維新後の急速な文明開化(欧米文化の導入)で政府が禁令を出して終焉を迎えている。
     
 古くは日本各地で行われていたという、お祭りの夜の乱交風習。暗闇祭りなどと呼ばれていたものである。戦後の風潮の中で、一気に消滅したといわれている。しかし、中には密かにその名残を残している地域もあるという。今回は、大学院の民俗学の研究で訪れたある村で、セックス奇祭を体験した若者に話を聞いた。話をしてくれたのは、都内の有名大学の大学院に通う大学院生、沖田君(24歳)。日本の民俗学、とくに祭りの伝統について研究しているという。
     
辺境の土地のお祭りで・・・・・
    
──大学院で、日本の民間風俗を調べていると聞きました。
    
「はい。院に入ってからは、祭祀、祭礼、祭儀といったいわゆる『お祭り』を中心に調査しています」
    
──そのフィールドワークの中で、いわゆる乱交祭りを体験されたとか。
    
「はい。もう現代日本では存在しないと言われていたのですが、実は秘密裏に土地の人間だけで行われているものがありまして。幸運にも調査することができました」
    
──沖田君は、その土地の出身なのですか?
    
「いえ、まったく関係がないです。なので、実際に目にできたのは、本当に幸運だったと思います」
    
──そして、そのいわゆる乱交自体を、目にしただけでなく体験もされたのですね?
    
「はい・・・・。あくまでも調査に行っていたので、本当は観察するだけでよかったのですが・・・・。流れ的に断りきれずに」
    
──それでは、順を追って教えて下さい。
    
「訪れたのは、中部地方の山奥の農村です。電車も通ってなくて、主要都市から車で3時間ほどかかる、かなりの僻地ですね。その村での祭りを調べに行ったのです」
    
──その村には、元々、何か性的なことに関する変わった噂とかがあったのですか?
    
「いえいえ。ただ単に、その地域一帯の文化に、弥生文化以前のアミニズム(精霊信仰)的な宗教色が色濃く残っているということで、その片鱗を調べていたのです。その村にも知り合いがいたわけではないので、飛び込み調査という感じでした。普通のフィールドワークの過程で訪れただけです」
    
──警戒されたりしませんでしたか?
    
「僕は、年齢の割りに幼く見えるせいか、人があまり警戒心を抱かないもので。人畜無害に見えるんでしょうね」
    
──村は、祭りの時期だったのですね?
    
「はい。一年一度の。村の唯一の楽しみといった感じで。ウキウキとした空気が満ちていました。女性たちは大きな農家に集まって、朝から大量の料理を作っていまして、男性たちは集まって飲んだくれてといった感じです」
    
──楽しそうですね。
    
「はい。そこらかしこで、夫婦で怒鳴り合っていたり。『毎年 飲んだぐれて!!』『酒ば飲まねで、神輿が担げるべが』なんて(笑)。けっこう明るい開放的な土地柄でしたね」
    
──ハハハ。
    
「主婦たちは主婦たちで、『お目当て』がどうのこうのと言って、何やら脇腹を突き合って、ちょっと淫らな雰囲気があったかなって。今、思えばですけれど」
    
──男性たちと一緒にお酒を飲んだり?
    
「はい。僕はあまり飲めないんですが、そうも言えないので、飲まされましたね。それで・・・・、実は僕は、女性の経験がなかくて、いわゆる童貞だったのですが、そこなんかもネタにされて・・・・。『じゃあ、ちょうど祭りでよかったなあ』みたいなことも言われまして。そのときはピンと来なかったのですが」
    
──なるほど、意味深ですね。
    
「そして、酔っぱらったまま、主婦たちに丸裸にされて、褌を締められて、法被を着せられて・・・・、なんというかちょっと玩具扱いされるみたいな感じで」
    
──開けっぴろげな感じですね。
    
「はい。大らかといいますか・・・・。そして神輿を担いで、まあ慣れてませんし、こんな身体ですから、ぶら下がっていた程度なんですが、お酒は回るわで、その後はひっくり返ってました」
    
──ハハハ、大変でしたね。
    
「そして、その日の神輿の担ぎ手は、身体を清めた後、神社の広間に集まって、さらにお酒を飲み交わして、そのままそこで寝るのですが・・・・、夜中になって、女性たちが入ってきて、うす暗がりの中で、近くの男達とイチャイチャはじめて。僕はひっくり返ってたのを無理矢理起こされまして。最初は夢を見ているみたいで、何が何だか分からなくて・・・・」
    
──イチャイチャしているのは、旦那さんと奥さんとかなんですか?
    
「最初は、旦那さんとその奥さんといった感じだったのですが、段々興奮してくると、ひとりの女性に複数の男達が群がったり、奥さんを交換していたり・・・・見境がない感じになって・・・・」
    
──そして、沖田君も?
    
「はい。何人かの主婦が寄ってきまして、押し倒される感じで・・・・。『フンドシ祝いも済ませたし、今度は筆下ろしだ!!』なんて言いながら、裸にされて・・・・。もう目の前にあるのが誰の身体なのかも、自分の身体がどうなっているのか分からないままに・・・・、ペニスが誰かの中に入ってしまっている感じで」
    
──すごい状況ですね。
    
「はい。しかも、一度では許されずに、何度も何度も・・・・。力つきて、気を失う感じで、気がついたら朝になっていました」
    
──次の日は、どんな感じなんですか?
    
「その、僕としていた主婦と顔を合わせても、全く、何事もなかった風で。段々、自分が本当に夢を見ていたのかなみたいな錯覚を覚える感じで・・・・」
    
──すごい体験をしましたね。論文とかに書くのですか?
    
「いや、なんと言っても、自分が体験しちゃったってだけで・・・・、証言も物的証拠もないし、フィールドワークとしては、何も使えないですね。普通に、祭りの形態などを調査して帰りました」
    
──しかし、まだ、乱交祭が日本に残っているのを体験したのは貴重ですね。
    
「そうですね。日本奥地の伝統民俗は、まだまだ奥が深いのですね。いい体験をしたと思います。童貞も卒業できましたし・・・・」
    

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