家ではいつもおじいちゃんと二人きりだった


私の両親は夫婦二人で小さな居酒屋を営んでた。
夕方から朝まで営業してた。
私は一人っ子だったので家ではおじいちゃんといつも二人きり。
生まれた時からそれが普通だったから大好きなおじいちゃんといつも一緒に過ごしてた。
御飯もお風呂も寝るのも一緒。
お風呂の時や寝る時に、おじいちゃんをマッサージするのが日課だった。
おじいちゃんはオチンチンの病気で恥ずかしいから誰にも絶対に喋ってはいけないよと、いつも言い聞かせられてた。
おじいちゃんのオチンチンの病気は、普段はぶらんぶらんしてるのに、症状が出ると太く長くなる。
上に向きになり物凄く硬くなる。
こうなると私の出番。
優しく握りしめてシコシコと手を動かすマッサージの開始だ。
大きく硬くなってるオチンチンから白色の臭い液がピュッピュッピュッと飛び出るまで、ひたすらマッサージ。
この白色の臭い液がオチンチンを腫れ上がらせる悪い毒だと教えられていた。
悪いものを出してあげるとおじいちゃんのオチンチンはいつも小さなぶらんぶらんの状態に戻り、喜んでくれた。
おじいちゃんが喜んでくれるのが嬉しくて、いつもマッサージをしてあげるときは一生懸命がんばった。
あと、マッサージをしてあげる前には必ず私のオシッコが出る所を舐めてくれてた。
女の子のデリケートな場所だから、体を洗うときはこうやって優しく舐めて洗うのが1番綺麗に洗えると教えてくれた。
ワレメと穴を長い舌で丁寧に洗うおじいちゃん。
いつも汗まみれになって舐めて綺麗にしてくれてた。
そんなおじいちゃんも私が小学3年生の時に交通事故で亡くなった。
それ以来、一人でお風呂に入り、一人で寝るようになった。
そして5年生の時に学校で性教育が始まり・・・
私も初潮を向かえ・・・
生理や性行為や妊娠などの知識を得るようになった。
当然、オナニーやセックスの存在も知ってしまい・・・
おじいちゃんが生きてる頃に私にしていたのがクンニリングスで私がしてあげていたマッサージは手コキだと理解した。
あれはオチンチンが腫れ上がる病気ではなくただの勃起。
そして白色の臭い液は精子。
私に射精させていたと知った。
今でも私の中の秘密、
誰にも言ってない、
だって大好きなおじいちゃんとの約束だったから。
大人になった現在では混浴温泉によく行く。
そして居合わせたおじいちゃん達にワレメを舐めてもらい、オチンチンをマッサージしてあげてる。
なんか、そうしてると大好きだったおじいちゃんと過ごしてる気分になれるから。

良かったら「いいね」してください。誰でも「いいね」出来ます!


同じジャンルの体験談

トップページに戻る