お袋の策謀ー私と美咲


 私も、とうとう還暦の年です。先日、大阪にいる息子(翔・23)が、還暦の祝いをしてやるから
遊びに来いと言うので、家内(美咲・45)と一緒に行ってまいりました。大阪は初めての地、不安でしたが
息子が駅まで迎えに来てくれ、迷うことなくホテルに落ち着くことができました。夕食は中華料理でした。
息子は可愛い女の子を連れてきました。前から言ってた、息子の婚約者だとすぐに分かりました。
初対面の私達にも、臆することなくハッキリ物を言いながらも、いつもニコニコしている感じの良い子です。
少し陰気な息子とは対照的ですが、互いに無いものを補い合い、良い家庭を築くだろうと思います。
食事の後ホテルに戻ると、息子を部屋に呼びました。そこで初めて「お前は私の実子ではなく、お母さんの
先夫の子」だと明かしました。かなり前からその事に気付いていたようです。息子が「俺にはおやじと
お袋しか親はいない」と言ってくれた時は、私も家内も涙が出ました。肩の荷が一つ降りた様な気がします。
あくる日、息子は仕事の都合で、婚約者の女の子が案内してくれました。梅田の花月劇場で吉本新喜劇を
楽しんできました。駅で別れる時、女の子は「来年春、結婚式を挙げたいと思っています。その時は
きっと出席して下さい。お願いします」と言って、頭を下げました。私達も頭を下げ、電車に乗りました。

 息子の翔には出生の事だけを話しましたが、家内の美咲との出会いについては何も話していません。
その出会いについて、誰かに聞いて頂くつもりで、文章にしてみました。
私は子供の時から、大きなコンプレックスを持っていました。それは男性器が他の人に比べ、異常に
大きいのです。その事に気付いたのは、幼稚園か小学校の時です。「お泊り会」と言う行事があり、
研修施設に宿泊し、みんなと風呂に入りました。その時までは、その大きさが普通だと思っていました。
一人の男の子が「わっ、大きい」と言いながら、私の方を指差しました。みんな寄ってきて、ジロジロ
見ます。確かに他の子に比べ、私の男性器はずーと大きいのです。みんな、私のことを「デカチン」と
あだ名をつけました。心配したお袋が病院に連れて行ってくれましたが、医者は真剣に取り合ってくれず
「大人になれば、普通のサイズになる」と笑っていました。小学校、中学校の修学旅行は、恥を忍びながら
参加しましたが、高等学校は「体調不良」を理由にして、参加しませんでした。社会人になってから
社員旅行では、誰も風呂に入らない時間帯(真夜中、早朝)を選んで入ります。ある日、職場の先輩が
風俗に行こうと誘ってくれました。年頃でもあり、こんなコンプレックスもあって、人一倍、性に関心が
強かったので、喜んで付いて行きました。私の相方は若い可愛い女の子です。私が童貞だと知って
いろいろ、おしゃべりしながら緊張をほぐしてくれます。そして、私のズボンとパンツを脱がすと、一瞬
固まってしまい、「あのう、急に差し込みが。ちょっと失礼します」と言って、出て行きました。それから
いくら待っても戻って来ません。漸く、支配人らしい男とお袋ぐらいの歳の女性がやって来て
「チェンジさせてもらってもいいですか?」と言います。腹が立ってきて、そのまま店を出てきました。
会社の女子社員の中に、意中の女性ができ、恋い焦がれたこともありましたが、自分の男性器を考えると
告白できませんでした。当時は、今のようにネットが無く、毎夜AVビデオを借りて来て、真夜中まで見て
自慰しながら眠るのが習慣でした。もう、結婚は無理だと諦めていたからです。

 その頃から、お袋は以前から好きだった花づくりの花壇を広げ始めました。野菜を作っていた畑も
昔の古ぼけた建物を撤去した跡地も花壇にしました。私は毎週休日(会社は日曜、祝日のみ休日)は
駆り出されて耕しました。花の種をまいたり、苗を植えたり、剪定したり、雑草を取り除いたりと仕事は
いくらでもあります。近所のお袋の親しいおばさんたちも手伝ってくれ、綺麗な花が庭一面に咲きます。
お袋は手伝ってくれた人たちを招待して、花を愛でながらお茶を楽しんでいました。数年もすると
人から人に伝わって、大勢人たちがやって来るようになりました。中には「自分もこんな庭を作りたいから
教えて欲しい」と、毎日のように手伝いに来てくれる人もいます。殆どがおばさんたちです。
ある日曜日、お袋の通院する病院の女性職員が数人やって来ました。お袋は彼女たちと親しく話しながら
花壇を案内していました。その中に美咲はいました。絵に出て来るような可愛い顔立ちが印象的で
つい見とれていました。一瞬、お袋の鋭い視線を感じ、慌てて目を伏せ花の間の草むしりを続けました。
その日の夕食の後、彼女の名前が「美咲」である事(その時は24歳)、すでに結婚し子供がいる事
主人が学校の先生である事などをお袋から聞きました。私と15歳も違い、学校の先生の奥さんとなれば
私なんかが出る幕は全くありません。翌年2月の初め、美咲が大きなアロエの鉢を持ってきました。
アロエは根が絡み合って窒息状態で、弱っていました。鉢から出し、丁寧に株分けして、植え替えました。
余程嬉しかったのか、この日から休日の時間のある時は、花壇づくりの仕事を手伝ってくれます。
日曜日や祝日の休日であれば、私もいましたから、私の知っている事は何でも、丁寧に教えてやりました。
少し暖かくなってくると、子供(翔)も連れて来て遊ばせていました。お母さん似の可愛い男の子で
みんなの人気者でした。何故か、お袋には良くなついていました。暖かくなって、花が咲き始めると
美咲は、手伝ってくれる人の休憩の時や見物客にもお茶やお菓子を出す接待の係も引き受け
なごやかな雰囲気のムードメーカになってくれました。

 ある日、職場にお袋が救急車で運ばれたと連絡がありました。私は急いで病院に行きました。
軽い脳梗塞で、入院して様子を見ると言います。後遺症は残らないだろうと言われ、ほっとしました。
お袋や私の知人、そして私の知らない人も多くの方が見舞いに来てくれました。美咲も来てくれました。
土曜、日曜日は花壇の管理を兼ねて、家の中の事もしてくれると言うので、鍵を預けました。
土曜日、仕事から帰って家の中に入ると、お袋が入院した時の乱雑な状態がきちんと整理され
掃除してありました。食卓には食事の支度ができ「おかえりなさい」のメモ書きまで置いてありました。
女性の細やかな気配りがひしひしと感じられます。美咲の主人がうらやましいと思いました。
お袋は、入院して三日ほどは、少し元気がありませんでしたが、一週間もすると元通りのの生活が
できるようになり、10日で退院することになりました。私が仕事の都合で時間が取れず
美咲に頼んでみると快く引き受けてくれ、当日午後、休暇を取ってお袋を迎えに行ってくれました。
その夜、私はお袋に「人の好意に甘えるな」と強く叱られました。(内心は美咲が迎えに来てくれと事を
喜んでいたと思います)しかし、あくる朝、お袋は起きてきませんでした。心配して覗きに行くと
「体がだるくて起きられない」と言います。仕方がないので私だけ食事を済ませ、仕事に行きました。
夜、仕事から帰ってみると、美咲と子供の翔がいます。びっくりして、訳を聞いてみると、お袋が
床に臥せったままで、食事もしないので、心配で家に帰れなかった言います。それから夕食を作り、お袋は
私が説得して半分ほど食べさせました。翔がぐずりだしたので、美咲に泊まってもらうことにして
客間に布団を敷きました。初めて美咲と一つ屋根の下に寝て、私は興奮して何度も自慰していました。

 それから毎週土曜の夜、美咲と翔は泊ってくれるようになりました。「人の好意に甘えるな」と言った
お袋自ら、美咲に側に居て欲しいと甘えるようなことを言うからです。美咲がいつも客間では心苦しいと
言うので、長年私が使ってきた座敷の部屋を使ってもらい、私は座敷の二階に移りました。母屋には
お袋の寝室、仏間、客間、ダイニングキッチン、風呂があり、座敷には一階に二間、二階に二間あります。
母屋と座敷は渡り廊下で繋がっています。美咲は翔が眠ってから、何か書き物でもしているのか
しばらくしてから風呂を使っていました。渡り廊下を歩く音で分かります。その夜、私は興奮していました。
窓から風呂の中を覗こうとしましたが、湯けむりで見えませんでした。階段の陰で彼女を待ちました。
風呂から出て来た時、彼女はネグリジェ姿でした。階段の陰から飛び出し、彼女の手首を掴むと、強引に
座敷の空いてる部屋へ引っ張り込みました。激しく抵抗しましたが、やはり男の私の方が勝っていました。
畳に押し倒すと、彼女の股間(ショーツ)に顔を押し付け、頭を叩かれるのをひたすら辛抱していました。
どれほど時間が経ったのか分かりませんが、彼女は頭を叩くのを止め、閉じてた足の力がなくなってきました。
ショーツを脱がすと、毎日見ているAVビデオの男優のように、クンニしながら愛撫しました。
私にとって初めての事であり、男優の真似にすぎませんから、美咲がどれほど感じていたのかは分かりません。
初めて、私の「デカチン」は女体を味わいました。気持ち良すぎて、半分も入らないうちに射精し終えました。
その後、主人のある人を強姦したと言う罪の意識に苛まれ、もう口もきいてくれないのではないかと言う不安で
眠れませんでした。しかし、その反対で、いつものように笑顔で「おはよう」の挨拶をしてくれ、食事も作り
花壇で一緒に働いてくれました。その日の夕方、美咲と翔を見送くりながら「離れたくない」と言う気持ちが
込み上げてきて、思わず泣いていました。それから一週間、待ち遠しくてたまりません。その一方で、もしや
あの夜の件が原因で、もう来てくれないのではないかと言う不安もありました。一週間が一年ほどに感じられ
期待と不安の中、土曜日の夜、家に帰りました。美咲も翔もいました。「おかえりなさい」の挨拶もしてくれ
ました。夕食の支度もしてありました。こんな嬉しい事はありません。お袋も部屋から出てきて、四人で
食事をしました。その夜は翔がお袋と寝ると言うので、布団をお袋の部屋に敷いてやりました。
美咲が風呂を出て部屋に入ったのを確めてから、部屋に行きました。彼女を強く抱きしめ、キスをすると
同じようにキスを返してくれます。後はビデオの男優を真似るだけでしたが美咲は喘ぎの声を上げ始めました。
私の「デカチン」も途中で射精することなく、彼女の中に入り、ゆっくり彼女を味わわせてもらいました。
気持ち良すぎて、程なく射精、喘ぎの声は一段と大きくなりました。しばらく、目を閉じていましたが
寝返りをうった時、手が私の「デカチン」に当たり、慌てて起き上がると私の股間を見ました。「わっ、大きい」
と言って、目を見張りました。でも、風俗の女の子と違って、先っぽに軽くキスしてくれました。

 それからしばらく経ったある日の夜、食事をしていると、突然、美咲と翔がやって来ました。
主人と喧嘩して、飛び出して来たと言います。「主婦たるべき者が、毎週土曜日に外泊するのは非常識だ」と
非難され、更に「浮気者」と言われたそうです。もっともな言い分だと思います。その時、私は、あの主人から
美咲と翔を奪い取ろうと決心し、いくら慰謝料を払っても良いと思いました。私の固い決意を美咲に伝え
その日から私の家で暮らしを始めさせました。美咲も仕事があるので、都合の悪いこともありますが、お互いに
譲り合い、お袋の助けも借りました。勿論、お袋の花壇は家族みんなで協力して守っていきます。
それから一カ月ほどして、弁護士と名乗る男から電話があり、話し合いをしたいと言ってきました。
平日で、翔が寝た後の9時ごろに私の家に来て欲しいと答えておきました。その日は暑い日で、客間は
エアコンが無く、扇風機が回っていました。美咲の主人に初めて会い、挨拶しましたがそっぽ向いていました。
神経質そうな感じの人でした。弁護士の尋ねることに、包み隠すことなく本当の事を答えたので、話は
簡単に済み、いよいよ慰謝料の話に移った時、突然、お袋が部屋に入ってきて、〇〇探偵社と書かれた封筒を
机の上に置いて「ご主人も、同僚の女教諭と不倫なさってるとか」と言います。弁護士は封筒の中身を見て
黙ってしまいました。主人の方は口をもぐもぐさせるだけで何を言ってるか分かりませんでした。
私は、美咲の離婚届と翔の親権放棄の書類に印を押してくれるよう頼みました。主人は弁護士と相談して
慰謝料が欲しいと言います。お袋が「では相手の女教諭の家にこれを持って行きます」と言うと、黙って
印を押してくれました。一時間足らずで済みました。これで美咲は私の妻です。翔は私と養子縁組すれば
私の子供として扱われるのです。次は翔の弟か妹、つまり私と美咲の子供を作らなければなりません。
私達は毎日のように子作りに励んでいました。美咲は私の「デカチン」を嫌がりもせず、受け入れてくれます。
むしろ、喜んでいる風さえ感じられます。しかし、結婚して2年過ぎても、子供ができる様子がないので
不妊の検査をしてもらった結果、私の精子の動きが悪く、受精は無理だと分かりました。人一倍性欲があるのに
精子の動きが悪いと言うのは納得できませんが、仕方ない事です。私達には翔がいるから大丈夫です。
お袋は、五年前、脳梗塞を患い、数日のうちに亡くなってしましました。その後、書類を整理していると
あの探偵社の書類が出てきました。依頼日の欄を見ると、美咲がアロエの鉢を持って来た日から、10日後に
なっていました。お袋は、あの時すでに美咲は息子の嫁に、翔は自分の孫にするため、手を打っていたのかも
しれません。退院後に床に臥せっていたのも、美咲を呼び寄せるための芝居だったかも知れません。
そして翔を自分の部屋で寝かせたのも、私が美咲を奪うよう、励ますつもりだったかも知れません。
今となっては、真相は分かりません。ただ一つ、確かなのは私と美咲は仲の良い夫婦だと言うことです。 

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