愛しい妻は元妹


今年3月に結婚したばかりの30歳の会社員です。
妻の紗世は、まだ20歳のメチャ可愛いロリ娘です。
私が、なぜこのような可愛い妻と結婚できたか、それは、妻が妹だからです。
妹と言っても血縁は無く、父の再婚相手の継母の連れ子です。

私が中学へ入学する直前、父は3歳の女の子を連れた31歳の継母と再婚しました。
紗世は10歳年下でしたが、すぐに私に懐き、お兄ちゃんお兄ちゃんとまとわりつきました。
私も、紗世があまりにも可愛いので、一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝たりしていました。
ところが、私が大学1年になったばかりの時に父が交通事故で他界、相手方の補償で生活には困りませんでしたが、私は継母に依存するようになってしまいました。
そんな私は、継母の言いなりになり、父がいなくなって寂しい継母と初体験をしました。
37歳の継母に女というものを徹底的に教え込まれ、男は女を悦ばすために存在すると仕込まれました。
毎日、若い肉茎を玩ばれる様子は、当時小学生になっていた紗世に見られていました。
紗世は、大好きな母と兄の淫猥遊戯に、その意味もよくわからずにモヤモヤしていたそうです。
私は、母だけでなく、大学生の彼女もいてセックスライフを謳歌していましたが、紗世は心穏やかではなかったようです。

私が大学を卒業して就職して3年過ぎた頃、今度は、継母が飛び出した子供を避けて自損事故で43歳で急逝しました。
高校入学が決まっていた紗世は気丈に振る舞っていましたが、私は、育ての母というだけでなく、性を交わしてきた愛しい女性の死にショックを隠し切れませんでした。
四十九日が終わり、納骨し、新盆が終わった後、紗世が言いました。
「お兄ちゃん・・・お兄ちゃんにとって、ママは恋人だったの?」
「え?」
「ママと、セックスしてたでしょ・・・」
「紗世・・・見てたのか・・・」
「私だってお兄ちゃんが好きだったのに・・・」
可愛い紗世がはらはらと涙をこぼしました。

紗世は、風呂から上がると一糸まとわぬ全裸で私の前に立ち、
「お兄ちゃん・・・私、お嫁さんにして・・・」
そう言いながら仰向けに寝て、初々しい割目を拡げました。
美人だった継母に似た可愛い紗世は、ずっと妹として接したきたからか心から妹と思える愛しさがありましたが、割目を開かれては理性が保てませんでした。
継母に仕込まれたクンニで身悶えする紗世は、どこで覚えたのか器用に肉茎をしゃぶりました。
もしかしたら経験済みなのかと思って挿入しましたが、かなりの抵抗を感じて、初めて処女喪失に立ち会いました。
出血にちょっとビビりましたが、美少女の処女喪失に興奮して、5分で射精してしまいました。
嬉しそうに私の精液を浴びた紗世は、その後は、家庭内では妹ではなく嫁さん気取りになりました。
清楚なセーラー服美少女は妹の紗世、セーラー服を脱げば妻の紗世、女子高生とは言え身体は大人の女性ですから、次第にセックスの快感を覚えていきました。
「あん、あん、お兄ちゃん気持ちいい、あっ、ああっ、ああ~~ん・・・・」
可愛すぎる紗世は、高校を卒業する頃にはすっかり淫乱な若妻になっていました。
事実上夫婦のような生活をしてきた私達は、紗世が二十歳になったことで関係を義兄妹から夫婦にして、今年3月に入籍しました。

未成年の女子校生を妊娠させられないと4年間膣外射精をしてきた私と紗世は、夫婦となって中出し三昧、現在紗世は妊娠3か月です。
先日、紗世と二人で買い物していると知り合いにバッタリ、
「お二人さん、似てるよね。従兄妹で結婚したみたい。」
と言われました。
幼な妻の紗世と過ごして思うのは、ずっと兄妹として暮らしてきたからというだけではなく、何となく本当に兄妹なんじゃないかと思えるのです。
何故、父は継母と再婚したのか、当時3歳の連れ子だった紗世の父親は誰なのか、もしかしたら紗世は父が継母に産ませた子なのではないか、などと思えてくるのです。
実の兄妹かどうかは、調べるつもりはありませんが、紗世とは、夫婦以上の特別な愛情を感じるのです。
そして、写真に写る私たち二人は、よく見ると似ているかもしれません。
兄妹として育ってきて、一度も連れ子同士だと思われたことが無いというのも、何となく異母兄妹なのではないかと思わせるのです。
生まれてくる子が無事かは分かりませんが、今更紗世と離れるつもりはないのです。

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